BLOG – JUNE 2020
あなたの眼の中のリンゴ(その1)
あなたの眼のリンゴのように私を守り(詩編17:8 NIV和訳)
*新改訳では、「瞳のように私を守り」(詩編17:8新改訳2017, 2018)と訳されていますが、NIVでは、Keep me as the apple of your eye; 訳「あなたの眼のリンゴのように私を守り」となっています。
私は最近、ある日曜日の聖書勉強会で、この表現に出会いました。そこで思ったのは、ダビデはなぜ、神様の眼の“リンゴ”のように…と願うのか、ということでした。
そしてさらに、そもそも眼のどの部分がリンゴなのでしょうか? 好奇心を抑えることが出来ず調べた結果、“眼のリンゴ”とは、瞳孔のことを指すということがわかりました。古代において、瞳孔は、リンゴのように丸い固体であると信じられていたのです。
現代では、瞳孔が固体ではなく、眼球の色のついている部分、虹彩の中心にある孔であることがわかっています。虹彩の筋肉は大きさや形を変えながら、瞳孔を通る光の量を調節しています。視覚にとって光はなくてはならないものであり、瞳孔はとても大切であると考えられていました。
なので、ダビデが「あなたの眼のリンゴのように私を守り」(詩編17:8 NIV和訳)、と神様に願ったのは、神様の満ち溢れた愛の対象である、慈しまれた子供として自分を見てほしいという思いだったのです。
友人の目をよく覗き込んだ時、まるで鏡のように、あなたの小さな姿が映っていることに気づいたことはありますか?ヘブライ語で、“眼のりんご”とは、「眼の中の“小さい人”」と訳されます。–愛しさにあふれた呼びかけの言葉ですね。
同じ事が私たちと神様との関係においても言えます。あなたの友人の目の中に、小さくあなたが映っているのが見えるように、神様は、あなたを見るときに、ご自身の姿が小さく映っているのをご覧になっているのです。あなたは神様の姿に似せて創造されたということを知っていますか?あなたは神様の慈しまれた子供であり、大切な宝なのです。あなたは神様の眼の中のリンゴなのです!
BLOG – JULY 2020
あなたの眼の中のリンゴ(その2)
主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼をみつけ、これを抱き、世話をし、
ご自分の瞳のように守られた(申命記32:10新改訳2017,2018)
この節では、“彼”とは、エジプトを脱出し、約束の地カナンへ向かっていたイスラエルの民のことを指します。その旅の間、イスラエルの民は40年間シナイ砂漠の荒野をさまよい歩いたのです。
この時期、神様は彼らを見つけてくださいましたが、それはたまたまではなく、自らのご意志により、そうされていました。 昼は雲の柱で、夜は火の柱で、彼らに道を示されました。そうすることで、彼らは昼も夜も進んで行けたからです。(出エジプト記13:21) また、石の板2枚に書かれた律法を授けられました。(出エジプト記20:1-17) 朝には、天から露のように降ってきたマナと呼ばれるパンで、夜には、飛んできたウズラの肉で(出エジプト記16:8)、そして、岩から出した水で(出エジプト記17:6)、彼らを養いました。
荒野で道に迷ったときに、神様は必要なものをすべて与えてくださると信じることに、迷いがあるでしょうか? 読み進めてもらうとわかりますが、神様が人間の眼を創造されたとき、手あたり次第にされたのではないのです。神様は、それぞれの構造が特別な機能を持つように、意図的に設計されたのです。
眼窩の7つの強靭な骨は、眼を収容し、保護し、そしてサポートするための‟窪み”を形作っています。まぶたは日光や異物より眼を守ります。眠っている時は閉じて、眼を保護し、潤いを保ちます。眉とまつげも破片が眼に入るのを防ぎます。
眼の一番外側の層となる角膜は、感染症から守ります。房水は目の角膜と水晶体に水分と栄養を与えます。
いかがですか? もし荒野で道に迷ったら、神様はあなたに必要なものをすべて与えてくださる、と信頼することはできますか? 神様はできる!と信じてください。神様はあなたを探しておられます。神様の方を振り向き、導いていただき、教えを請い、栄養を与えていただき、守っていだたきましょう。あなたは、神様の眼の瞳なのですから!