11 私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせてみることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。(コリント人への手紙 第一13章11-12節 新改訳2017) 11節で、使徒パウロは霊的成長を、人の成長になぞらえています。大人と比べれば、子供の世界の理解は限られているように、私たちの現在の霊的な理解も未熟であり、しかし成長しているのです。12節で、パウロは比喩を用いて、我々は暗闇の鏡を見るように、神様をぼんやりとしか見ることができませんが、しかしすべてが完全な時は、神様をはっきりと知る、といいます。 古代コリントの町では、鏡は透明なガラスではなく、磨き込まれた青銅か銅でできていました。映る像は暗く、ゆがみ、ぼやけていました。 鏡は私たちの限りのある、地上での視点を表しているのです。基本的な霊的真理を得ることはできますが、神様の計画のすべてを知ることはできないのです。しかしイエスが地上に戻ってこられ、目の前でお会いするとき、私たちの理解は絶対的に明確で完全なものになります。 この聖句で、私は、年齢を重ねるに伴い視界がぼやける一般的な目の病気である白内障のことを思い出しました。 白内障は、本来は透明な目の水晶体を濁らせます。この症状は曇りガラスを通して見ているよう、と説明されます。年を取るにつれ、目の中のタンパク質がバラバラになり、くっついて塊をつくり、網膜に届く光を妨げるので、ぼやけてくすんだ、黄色い視界になってしまいます ほとんどの白内障は加齢に伴って自然に起こるものであり、80才を超えるアメリカ人の半数以上は経験します。その他の要因としては、目のけが、過去の目の手術、喫煙、糖尿病、あるいは長期間のステロイド使用などがあります。 一般的な症状には、視界がぼやける・かすむ、まぶしく感じる、似たような色が区別できなくなる、夜間の運転が難しくなる、光の周りに輪ができる、そして頻繁に眼鏡の処方箋を変える必要になる、があります。 白内障は通常はゆっくりと進行します。眼科医は、白内障が進行して治療が必要になれば、伝えてくれます。唯一の効果的な治療は、安全な外来手術で、にごった水晶体を透明な人工レンズに置き換えます。この方法は、次の目の側面図で説明します。 術後数週間は、感染症の予防と炎症を抑えるため、抗生・抗炎症点眼が処方されます。また最初の週は、患者は保護用眼帯をもらい、就寝中は装着します。 二年前、私は白内障の手術を受け、視力が回復しました。色々な色をみることができ、それぞれの色を見分けられるほどの明瞭さに驚いたものです。そして、ボーナスとして、私の視力は20/20(1.0)まで回復したのです。今は処方箋や教会の讃美歌集を読む時、小さい字に焦点をあわせるための老眼鏡をつける必要があるだけです。 視力20/20(1.0)が白内障の手術で保障されるものではありませんが、61%の患者が、それ以上、または同程度の視力を得ています。さらに、90%以上の患者は20/40(0.5)になり、これは運転するのに十分です。どれぐらいの視力になるかは、どんなタイプのレンズなのか、目の健康状態、そして既往症などによって異なります。 イエスキリストに従う者として、私たちがイエスに目の前でお会いできるという、天国への昇天は、白内障手術の結果のように、なにか条件によるものではありません。ヨハネの福音書17章24節で、イエスは御父に使徒たちのことについて語っておられます。 24 父よ。わたしに下さったものについてお願いします。わたしがいるところに、彼らもわたしとともにいるようにしてください。わたしの栄光を、彼らが見るためです。世界の基が据えられる前からわたしを愛されたゆえに、あなたがわたしに下さった栄光を。 (ヨハネの福音書 17章24節 新改訳2017) イエスがこれらの御言葉を使徒たちに語ったように、イエスは彼を信ずるすべての人々に、同じことが現実になるように望んでおられます。私たちが知っているこの世が終わりを迎え、イエスが私たちの元に戻ってこられ、そして私たちの目は究極の神様の栄光により開かれるのです。 ホラシオ・G・スパフォードが彼の素晴らしい讃美歌 “安かれ、わが魂よ”において、言い表せないほどの希望と期待をこめて、次の言葉を記しました。 主よ、私の信仰が目で見えるものとなる、その日が早く来ますように。雲が巻物のように巻き上げられ、ラッパが高らかに鳴り響き、主が降りて来られる。それでもなお――私の魂は安らかです。 ID 327982796 | Cataract Surgery © Tetiana Pavliuchenko | Dreamstime.com https://coastaleyeassociates.com/cataracts-houston/
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人生のバランス ―その2 水平線
5心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 6あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。 主があなたの進む道をまっすぐにされる。(箴言3章5-6節, 新改訳2017) 10月30日の『主とともに過ごす、365日の心の黙想ガイド』の記述の中で、デニス・キンロー博士は、アフリカで宣教師のパイロットと小型飛行機に乗っていたときの話を紹介しています。そのパイロットは、飛行機には大きさに関係なく、必ず不可欠な計器が2つあると語りました。それは「コンパス」と「水平線(ホライズン)」です。 コンパスがなんたるかは知っていたので、キンロー博士は水平線について尋ねました。パイロットは黒い線が横に走っているダイアルを指さしました。その線の両端はオレンジで、その他のどの線よりも太かったのです。 機体が分厚い雲に入ると、パイロットには周りの雲以外何も見えなくなります。パイロットは言いました。「この計器が自分が上を向いているのか下を向いているのか教えてくれます。自分の外に基準が必要なんです。コンパスは進む方向を示してくれ、水平線が上下を教えてくれます。」この二つの計器が、パイロットの飛行計画に沿って、進行方向を保ってくれるのです。 私は長年の友達であるUPSの元パイロットであるアーブ・メットカフに聞いてみました。自分がひっくり返っている時に、どうして何かおかしいと感じないことがあるのだろう。アーブはこう言いました。「パイロットが雲や嵐の中を飛行する時、基準とする水平線が見えない。もし機体が制御された状態で、ゆっくりと回転するかあるいは背面飛行になると、遠心力により、パイロットは座席に押しつけられる。それにより、重力の変化を感じなくなり、座席が “下“であると思ってしまう。もしパイロットが水平計器を正しく読まなかったり、その計器が壊れていたら、まっすぐ水平に飛んでいると思い込んでしまうだろう。」 神様は私たちにバランスを保つように、よく連携して働く器官を備えてくださいました。前庭系、目、筋肉と関節です。 前庭器は内耳にあります。(下の図参照)。 内耳にある前庭器は、5つの器官を指します。 ・三つの三半規管 ・二つの耳石器 3つの半規管は内耳にある管で、頭部の回転運動を感知します。 ・上半規管:上下の頭の動きを感知する(Yesとうなずくとき) ・水平半規管:左右の頭の動きを感知する (Noと頭を降るとき) ・後半規官:頭を左右に傾ける動きを感知する(肩に向かって頭を傾けるとき) 二つの耳石器は、直線的な動きを感知します(重量と関係する動き) ・卵形嚢:水平方向の動きを感知する(前後の動き。動いている車にいるときのように) ・球形嚢:垂直方向の動きを感知する(上下の動き、エレベーターに乗っているときのように) 5つの前庭器官は、内リンパと呼ばれる液体と非常に小さな有毛細胞という感覚受容器を含んでいます。頭を動かすと、内リンパ液が移動し、有毛細胞が曲げられたり変位したりします。その結果、有毛細胞はその動きの感覚情報を、前庭神経を通して脳へ送るのです。 前庭系システムはそれ単体で働くわけではありません。それは地上での動きのため、設計されているのです。水平線を見ずして、脳は重力とその他の加速度を区別できません。筋肉と関節の感覚受容器も、脳に信号を送ります。したがって、バランスは前庭系システム、目、そして筋肉と関節が連動することで保たれるのです。 機体にパイロットが真の水平線を把握するための計器があるように、そして私たちの身体のバランスを保つために耳に複数の器官が備えられているように、神様はその導きを求める人に霊的なバランスを与えてくださいます。 私たちの人生が、追い風にとらわれた飛行機よりも、速く回転していうように感じる時、私たちは神様の究極的な善と、神様が与えようとしておられる愛に満ちた配慮を思い起こさせるものへ目を向けることができる。神様は、聖書において御言葉を、私たちの心に宿る聖霊においてその存在を、さらにご自身の創造物とキリストに従う人々との交わりを通して、愛の証明を、それぞれ与えてくださっているのです。神様の声は、私たちの好きな音楽の中に、美しい絵画の中に、そして友人たちと分かち合う笑いの中にも響いているのです。神様はこの世界を、美しさと真理と善で満たしてくださった。だからこそ、私たちは真の水平線である神様に目を向け、バランスを保つ助けとしていきましょう。 詩篇 119章105節 105あなたのみことばは、私の足のともしび 私の道の光です。 ヨハネの福音書 16章13節 13しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがに伝えてくださいます。 創世記 1章31節 31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。 コロサイ人への手紙 3章16節 16 キリストの言葉が、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝を持って心から神に向かって歌いなさい。 https://my.clevelandclinic.org/health/body/vestibular-system Kinlaw, D. (2002). This Day with the Master. The Francis Asbury Society.
人生のバランス ― 第1部
2026年の春分は3月20日に起こりましたが、北半球では天文学上の春の始まり、南半球では秋の始まりを示します。これは、地球の地軸が太陽に対して傾きも離れもしない「バランスの瞬間」であり、そのため、太陽は赤道の真上を通過し、世界中で昼と夜の長さがほぼ等しくなります。 地球はおよそ365.25日かけて太陽の周りを一周します。この運動は、23.4度に傾いた軸と組み合わさり、私たちの一年の暦を決め、各半球が様々な日射量を受け取ることにより四季が生み出されます。 次のようなパターンに注目してください: ・夏至―北半球では正午に、太陽が北回帰線(北緯23.5度)の真上から照りつけています。 ・春分・秋分―太陽は地球の赤道の真上から照りつけています。 ・冬至―南半球では正午に、太陽が南回帰線(南緯23.5度)の真上から照りつけています。 日照時間の増え方は、どこにいるか、そしていつなのか、によります。一般的に、春分の頃は、北半球の多くの場所で毎日約2-3分、日が長くなります。この昼の伸びは、夏至まで続きますが、増えた昼の分が、そのまま夜の時間も増やすのではありません。日の出が速くなることと、日の入りが遅くなることの両方に分かれて現れるのです。 朝、私はコーヒーとオートミールを入れた器をもってリビングに行きます。ソファに座って北東向きの大きな窓の外を眺めます。時には、太陽が地平線から昇るのを見ることができます。今日は、日の出を示す、ピンク色に染まった朝焼けの空だけが見えました。 今、学んだように、神様は太陽と地球を創造し、それらの関係性と相互作用を、繰り返し起こる予測可能なパターンの中に定められました。そのため、私はソファに座って窓の外を見た時に、やがて太陽が地平線から昇ってくる日が来ると信じて希望を持つことができるのです。 どの季節に自分がいるとしても、神様の御性質はずっと変わらず、確固たる希望の礎であり続けることを覚えておきましょう。神様の御言葉を読み、信じ、頼りましょう。もし、あなたが今、光よりもより暗闇を感じているならば、神様はすべてを新しくしてくれるということを思い出しましょう。新たな季節はすぐそこです。 31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。(創世記 第1章31節、新改訳2017) 3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。(ヘブル人への手紙 第11章3節、新改訳2017) 5 天を創造し、これを延べ拡げ、 地とその産物を押し広げ、 その上にいる民に息を与え、 そこを歩む者たちに霊を授けた神なる主は こう言われる。 (イザヤ書 第42章5節、新改訳2017) 20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。 (ローマ人への手紙 第1章20節、新改訳2017) 22 主の恵みを。実に、私たちは滅び失せなかった。 主のあわれみが尽きないからだ。 23 それは朝ごとに新しい。 「あなたの真実は偉大です。 (哀歌 第3章22-23節、新改訳2017) ID 153050430 © Designua | Dreamstime.com https://www.ksla.com/2019/03/06/weather-or-not-spring-equinox
記憶せよ
神がイスラエルの民をエジプトから救い出された後、神は彼らに、ご自分の御言葉を覚え、それを子どもたちに強く印象付けるようにと命じられました。愛に満ちたやり方で、神は単に命令を与えただけではなく、イスラエルの民がその教えに忠実でいられるように、さまざまな方法も備えてくださったのです。 4 聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。 5 あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。8 これをしるしとして自分の手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。(申命記 第6章4-9節、新改訳2017) 6節で述べられているように、何かが“私たちの心にある”ためには、単に理解するだけでなく、それを自分の奥深くに蓄えておく必要があります。その瞬間に起こった感覚としてではなく、いつでも思い起こせるものへと変えていかなければなりません。言い換えれば、それを“記憶”にしなければならないのです。 先週、私は教会で開催された聖書クイズ大会に参加しました。その競技がどのように行われるのか、直接この目で確かめたかったのです。この行事と、それに参加したティーンエイジャーたちの姿を記憶に留めておきたかった。そうすれば、彼らのために祈る時、私の思いや言葉が聖書大会で実際に起きていることを正確に反映できると思ったからです。私が目にした光景に感銘を受け、祝福されたと言うのは控えめな表現です! 訪問後、私はもっと詳しく知りたくなりました。ティーンエイジャーたちが大会に向けてどのように準備しているのか知りたかったのです。大会に向けた準備を担当するコーチたちに尋ねたところ、以下のような回答を得ました。 - 教材を読み、繰り返し読む - 自宅でワークシートに取り組む - 教材の内容を書き出す - 教材の内容を聞く - 教材の内容を声に出して読む 各参加者は通常、自分に最も効果的な方法を見つけ出すか、あるいはさらに優れた独自の方法を編み出します。彼らは、より多くを記憶できるほど、競技で成功する確率が高まることに気づきます。様々な反復形式を用いた学習で記憶できる量に、彼らは驚嘆します。あなたにとって最も効果的な記憶法は何ですか?聖句を暗記することが、あなたの思考と言葉の基盤を形作ることに気づいていますか? 記憶は、脳のただ一つの部分に保存されているわけではありません。長期記憶や短期記憶といったさまざまな種類の記憶は、互いにつながり合った異なる脳の領域に保存されています。以下の説明でそれぞれの領域がとりあげられる際に、下の図を参照して位置を確認してください。 長期記憶 長期記憶は2つの分野に分けられます。: 顕在記憶と潜在記憶です。 通常、私たちが「記憶」や「何かを覚えていること」について話すとき、それは意識的に思い出すことができる顕在記憶を指しています。顕在記憶はさらに二つのカテゴリーに分けられます。 一つは、自分に起こった出来事に関する記憶です。たとえば、友達があなたの誕生日にサプライズパーティーを開いてくれたときのことなどです。あるいは、一般的な事実や情報に関することです。たとえば、子どもの頃に使っていた最初の電話番号や住んでいた家の住所などです。 顕在記憶に関わる脳の重要な領域は3つあります。:海馬、大脳新皮質、そして扁桃体です。顕在記憶は、アルツハイマー病のような神経変性疾患によって、はっきり影響を受けます。 もう一つの長期記憶は潜在記憶、つまり無意識の記憶です。これらの無意識の記憶は、運動技能を伴う、学習された手順である場合があります。たとえば、自転車の乗り方を覚えることや、キーボードでタイピングする方法を覚えることなどです。 潜在記憶はプライミングによって生じることもあります。プライミングとは、ある刺激への暴露が、脳の他の刺激への反応に影響を与えるということです。プライミングの一例が言葉の連想です。「海岸」という言葉を聞けば、自動的に「砂」とか「海」という言葉を思い浮かべることがあります。潜在記憶は、大脳基底核と小脳に依存しています。 短期記憶 短期記憶は、脳が少量の情報を短い時間だけ覚えておくことを可能にします。その中でも最も短いタイプの記憶は「作業記憶」と呼ばれ、ほんの数秒ほど保つことができます。この記憶は、ほかの認知的な処理を行いながら、情報を頭の中に一時的に保持しておくときに使われます。たとえば、新しく知り合った人が言った電話番号を覚えながら、スマートフォンのメニューを操作して連絡先に追加するような場合です。作業記憶の能力は、標準的な心理テストで測定される一般知能の最も有力な指標の一つとされています。 短期作業記憶は、主に前頭前野に最も強く依存しています。前頭前野は、あなたという人間を形づくるうえでとても重要な部分であり、日常生活にも大きな影響を与えています。前頭前野は「実行機能」と呼ばれる働きを通して、思考・感情・行動をコントロールします。この機能は、計画を立てること、意思決定をすること、問題を解決すること、集中力を保つこと、そして新しい状況に適応するときに必要となるのです。 外傷性脳損傷は、前頭前野にさまざまな程度の損傷を与えることがあり、軽い脳震とうから、脳卒中、交通事故、爆発による衝撃やその他の戦闘による負傷に至るまで、その程度は幅広いものです。しかし、神が脳を「神経可塑性」という可能性を備えて創造されたため、かつては実行機能の一部が失われると永久に回復しないと考えられていたことも、今ではそうではない、とされています。前頭前野が損傷を受けた後でも神経可塑性が働くことで、脳は再編成され、損傷を補おうとし、多くの場合、前頭前野の近くの領域がその機能を引き継ぐようになります。リハビリテーションの過程では、新しい神経経路が形成され、神経同士の結びつきが強まり、新しいシナプスが作られます。その結果、失われた処理能力が回復することがよくあります。 ヨハネによる福音書14章には、イエスが弟子たちを慰めている場面が記されています。イエスは、ご自分がまもなく父のもとへ去って行くこと、そして弟子たちは一緒に行くことができないことを告げました。父の家には住まいがたくさんあること、そしてご自分は弟子たちのために場所を備えるためにそこへ行くのだと約束されたのです。 イエスは弟子たちに、ご自分が戻って来て、彼らを連れて行き一緒にいるようにする、と告げられました。そして、彼らはご自分がどこにいるのかを知るようになる、とも言われました。さらにご自身を愛し、その教えを守ること、そして、主にお願いして、弟子たちを助けて永遠にともにいてくださる「助け主」を与えていただくと約束されました。 脳の損傷が必ずしも永久的なものではなく、修復される可能性があるのと同じように、イエスもまた、ご自身との別離に対して、聖霊の約束という回復の道を備えてくださいました。私たちは、もはやイエスが水の上を歩く姿や、多くの人々に食べ物を与える奇跡を見ることができないからといって、希望を失い、絶望して生きる運命ではないのです。大きなことにも小さなことにも、目に見える形でも見えない形でも、神は今もなお、私たちの人生という織物の中で働き続けておられます。不可欠なことは、私たちが神の御業を覚えていることです。とりわけ、神が遠く離れ、沈黙しているように感じられる時期にこそ、それは重要です。もし神の約束が「私たちの心に刻まれている」なら、私たちはその御言葉を真に信じることができるのです。 25 これらのことを、わたしはあなたがたと一緒にいる間に話しました。26 しかし、助け主、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのこと教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ14章25-27節 新改訳2017) https://qbi.uq.edu.au/memory/where-are-memories-stored
それは書いてある
この聖句は、神のことばを用いて誘惑に打ち勝つことができると教えています。イエスは旧約聖書のことばを語ることで、サタンの嘘に対して神の真理を示し、勝利されました。 荒野で試みを受けるイエス 4 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 (マタイの福音書 第4章1-4節 新改訳2017) (イエスは申命記 第8章3節を引用して)3それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。 5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こういった。 「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする。』と書いてあるから。」 7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(マタイの福音書 第4章5-6節、新改訳2017) (イエスは申命記第6章16節を引用して、) 8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。』 10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある」 (イエスは申命記第6章13節から引用して)13あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。 11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。(マタイの福音書 第4章4-11節、新改訳2017) この聖書箇所は、イエスが神の子としての神的権威を示し、力強い行動によって御父の家を清められたことを描いている。それは権威と力の顕著な表れであると同時に、宗教指導者たちへの挑戦でもあった。 神殿でのイエス 12 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛を倒された。 13そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣」にしている。』(マタイ第21章12-13節 新改訳2017) (イエスは旧約聖書の2つの節を引用して) 彼らの全焼のささげ物やいけにえは、 わたしの祭壇の上で受け入れられる。 なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。(イザヤ書第56章7節 新改訳2017) 11 わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた―主のことば―(エレミヤ書第7章11節 新改訳2017) ここ二回のデボーションでは、読み書きの過程に関わる脳の部位について探ってきました。ですから、今回のデボーションには解剖学と生理学のセクションは含めていません。来月は、記憶に関わる脳のどの部分が働いているのかを学びます。ですから、ぜひ神の御言葉を暗記するようお勧めします。そうすれば、確信をもって『こう書いてある!』と言うことができるでしょう。まずは、この二つの聖書箇所から始めてください。私も一緒に暗記します! 箴言 第3章5-6節 新改訳2017 5 心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 6 あなたの行く路すべてにおいて、主を知れ。 主があなたの進む道をまっすぐにされる。 詩篇 第119章105節 新改訳2017 105 あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。 Thy Word, song by Michael W. Smith and Amy Grant https://www.youtube.com/watch?v=a6LC8cu03Ig あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。 恐れを感じるとき道に迷ってしまったと思うときもそれでもあなたは いつも私のすぐそばにいてくださる。 私は何も恐れません あなたが近くにいてくださる限りどうか終わりまで 私のそばにいてください。 あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。 私は忘れません私へのあなたの愛を それでもなお私の心はいつもさまよってしまう。 イエスよ 私の導き手となりあなたのそばにしっかりと留めてください。終わりまで あなたを愛します。 私は何も恐れません あなたが近くにいてくださる限りどうか終わりまで 私のそばにいてください。 あなたのみことばは 私の足元を照らす灯あなたのみことばは 私の足元を照らす灯私の道を照らす光です。私の道を照らす光。あなたこそ 私の道を照らす光です。
神の言葉を読む
イエスは、人々が聖書を読んで理解することに責任を負うべきだと考えていました。なぜでしょうか。読み続けることで答えがわかります! ヨハネの福音書5章1節-18節には、イエスがエルサレムのベテスダの池にいた、38年間病気に罹っていた男を治した話が記されています。そこは、水がかき回されたときに病気が治ると、多くの病人たちが集まっていました。イエスはその男に「良くなりたいか」と尋ね、男が水の中に入ることができないと説明すると、イエスは「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じました。すると男はすぐに癒やされ、床を取り上げて歩きだしたのです。安息日に床を取り上げて担いで歩くことは、ユダヤの律法に反しており、この奇跡の行いは、イエスの癒やしの力と、ユダヤの律法をも超える権威をも示したのです。 ユダヤ人の指導者たちは、イエスを迫害し始めました。これに対してイエスは、いつも働いておられる御父のとおり、自分も働いているのだと弁明されました。この発言は、イエスが神を「自分の父」と呼び、自らを神と等しい存在としていると、ユダヤ人の指導者たちをさらに怒らせました。安息日に人を癒やす権威について弁明した後、イエスはご自身がメシアであるという主張を裏づける証拠について語られます。 イエスについての証 31 もしわたし自身について証をするのがわたしだけなら、わたしの証言は真実ではありません。 32 わたしについては、ほかにも証をする方がおられます。そして、その方がわたしについて証しする証言が真実であることを、わたしは知っています。33 あなたがたはヨハネのところに人を遣わしました。そして彼は真理について証ししました。34 わたしは人からの証しを受けませんが、あなたがたが救われるために、これらのことを言うのです。35 ヨハネは燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で大いに喜ぼうとしました。 36 しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。37 また、わたしを遣わされた父ご自身が、わたしについて証しをしてくださいました。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたことも、御姿を見たこともありません。38また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハネの福音書5章31節-40節、新改訳2017) これです!なぜイエスが、私たちに聖書を読み、理解する責任があるとするのか。その理由は、聖書がイエスについて証ししているからです。ユダヤ人の指導者たちは、聖書を読むことの意味を取り違えていました。それは単にユダヤの律法を守るための服従行為ではなく、神の真理を知るため、すなわちイエスこそがメシアであることを知るために聖書を読むということだったのです。 読み慣れている人は、主に左半球にある脳の複数の領域を用い、それらを統合させます。 ・頭頂―側頭領域は、書かれた単語を音に分解します。(すなわち、単語分析、音読) ・後頭―側頭領域には、単語の綴りと意味が蓄えられています。(すなわち、文字-単語認識、自動処理能力、言語理解)これは、自動的ですらすらと読めることに極めて重要で、一語一語声に出して読まなくても、素早く単語を認識できます。 ・前頭葉は、話す能力を担います。(聞いたり話したりするときに、その音声を処理する) 大切なことは、読解過程において、様々な脳領域がそれぞれ特定の役割を担っているともいえるのですが、読解は複数の脳領域が協調して働いているということなのです。読む際の主な情報は脳の構造からなるネットワークによって支えられているのであり、一か所に限定されているわけではありません。各脳領域は、様々な種類の情報に反応し、そして処理に関わっています。 子どもの脳は、読解を会得するにつれて、その働きを変化させる必要があります。多くの児童にとって、小学校低学年での指導と練習は、読むことを学ぶために脳の各領域を「訓練」するのには十分と言えます。脳画像研究により、典型的な発達をする読者の脳は、読解を学ぶにつれて、解剖学的変化および機能面での変化がみられることが明らかになりました。。児童の読解力の差によって、脳領域における活動パターンが違うのです。 例えば、読み始めたばかりの読者は頭頂・側頭領域(単語分析)でより強い活動がみられる一方で、より熟練した読者では、後頭・側頭領域(単語認識)での活動が次第に増えるのです。幼い時期の豊かな言語経験により、読解技能(音素認識、文字音変換、語認識)の獲得により反応しやすい脳になります。 読みを学ぶことが過程であるように、聖書を読み、理解することもまた過程なのです。聖書を読み学ぶことは、新たな気づきとその意味をもたらします。イエスの到来を預言する旧約聖書、それらの預言の成就を記した新約聖書、共に私たちには、賜物として与えられているのです。 預言とその成就を並べた聖書箇所 14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7章14節、新改訳2017) 22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。 23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイの福音書1章22―23節、新改訳2017) 6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。 (イザヤ書9章6―7節、新改訳2017) 35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。(ルカの福音書1章35節、新改訳2017) https://keystoliteracy.com/blog/how-the-brain-learns-to-read/
神の言葉を書き記す
33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである-主のことば-。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(エレミヤ書31章33節 新改訳2017) この聖書の一節は、預言者エレミヤを通して告げられた神の「新しい契約」の約束を述べています。石の板に書かれた古い契約とは異なり、この新しい契約は人々の心と想いに刻まれ、外側からの強制ではなく、内側から神に従いたいと思うようになります。この内面の変革によって、神は本当に人々の神となり、人々は本当に神の民となることを確実にし、真の交わりと永遠の赦しに至るのです。 同様に、『箴言』の著者も「神の言葉を心に刻む」ことの重要性を語っています。そうすることで、人は知恵を得るのです。 1 わが子よ、私の教えを忘れるな。 心に私の命令を保つようにせよ。 2 長い日々と、いのちと平安の年月が、 あなたに増し加えられるからだ。 3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ それをあなたの首に結び、 心の板に書き記せ。 4 神と人の前に好意を得、聡明であれ。(箴言3章1節-4節 新改訳2017) 座って何かを書こうとしても、言葉が出てこないことはありませんか?あるいは、あなたの字は読みにくい、とよく言われませんか?実は、書くときの思考及び身体活動はとてつもなく精巧で複雑な工程であり、脳のいくつもの部分が関わるのです。私たちが書くときになにかしらの事で苦労するのは不思議ではありません。脳内では沢山のことが起こっているのです。 書くこと―思考の観点(アイデアを生成し、まとめる)から見ると、前頭葉・頭頂葉・側頭葉を中心とする複雑な脳領域ネットワークを使います。ほとんどの人では、これらは主に左半球が担っています。このプロセスは、アイデアの生成、言語の構成、運動の実行、に分けられ、それぞれが異なる脳領域に依存しています。 アイデアの生成と計画 ・前頭葉:自発的行動を制御する前頭葉は、文章の内容と構成を決める高レベルの計画性と論理的思考を管理する。 ・海馬:この領域は記憶の呼び起こしに不可欠であり、文を書くときに活かすことが出来る過去の出来事や事実、アイデアにアクセスし想起することができます。 言語処理 • ブローカ野:左前頭葉に位置するブローカ野は、言語生成に不可欠であり、考えを文法的に正しく首尾一貫した文章(口頭表現と文章表現両方)へと変換します。 • ウェルニッケ野:左側頭葉に位置するウェルニッケ野は、言語理解を担い、これにより自身が書く言葉や文章の意味を理解することができます。また、修正においても重要であり、書いた内容と言わんとすることを比較するとき役立ちます。 • 角回:この領域は視覚、聴覚、その他の感覚情報を統合し、言語処理を行います。知覚された単語とその意味を結びつける上で極めて重要であり、損傷すると書字障害(失書症)を引き起こします。 • 紡錘状回:特に手書きにおいて重要であり、左紡錘状回は視覚的単語認識と正字法コーディング(単語のつづり方)に関わっています。 手書きする時の身体の動きに関しては、脳の他の領域が活発に働きます。 運動制御 ・エクスナー野:左前頭葉にある特殊な領域で、手書きに必要な正確な手や指の動きの「運動記憶」を保持します。 ・前運動野:この領域は運動の計画を担当しており、手書きやタイピング行為の前に、手や指の動きを準備します。 ・運動野:運動野は前頭葉の後方にある帯状の領域で、文字を書いたりキーを押すのに必要な手の動きを実行するために、筋肉へ信号を送ります。 ・小脳:この領域は書くために必要な運動を調整し制御します。特に手書きの際に活発になり、動作を滑らかにします。 ・上頭頂皮質:この領域は、文字の大きさ・形・ページ上での文字の位置をコントロールするために必要な空間処理を担当します。 最後に、手書きとタイピングの違いについて。fMRI を用いた研究によると、手書きはタイピングに比べて、より広範な脳領域のネットワークを活性化させることがわかっています。そのため、教師の多くは、学生に授業中タイプでノートを取ったり口述させるよりも、手書きでのノート取りを促すよう推奨されています。 • 手書きは運動制御、感覚フィードバック、記憶に関連する追加領域に関与し、より複雑な神経接続をもたらします。 • タイピングはより単純な運動技能を伴うため、活性化される脳領域のネットワークが小さい。この違いが、なぜ手書きがタイピングに比べて記憶保持や学習に良いのかを、説明しているのかもしれません。 「神の言葉を心に刻む」という点において、神の言葉を覚えることは、あらゆる状況下であなたの思考や視点に影響を与える力を持っています。また、聖書について日記をつけること(手書きでもタイプでも)が、否定的な思考と戦うためのもう一つの有用な手段だと感じる人もいます。しかし、どのような方法で言葉を書き記すにせよ、聖書と向き合うたびに私たちの脳が行う驚くべき複雑なプロセスに、私たちは皆、感嘆せざるを得ません。私たちの心に御言葉を刻むための多くの方法を与えてくださったことを、神に感謝します! https://uwaterloo.ca/writing-and-communication-centre/blog/psychologically-speaking-your-brain-writing https://dev.taleafrica.com/addread/writing-as-a-motor-function-and-its-brain-mechanisms/
聖霊の変革する力
12 このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。13モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。14 しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。15確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。16しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。17 主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。18私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 (コリント人への手紙第二 第3章12-18節、新改訳2017) 聖書は、聖霊には人を変える力があり、信じる者をイエス・キリストのように造り変えていく、とことを強調しています。上記の箇所でパウロは、コリントの教会に対して、その変化は継続的な過程であり、霊的成長の旅であることを忘れないよう説いています。聖霊が働かれると、私たちの思いは新たにされ、やがて私たちの生活の中に御霊の実が育ってくるのです。 パウロがモーセの顔の覆いについて言及しているとき、彼は『出エジプト記』34章を引用しています。そこには、モーセが神と会った後、その顔の肌が光り輝いたことが記されています。モーセの顔は神の栄光をあまりにも力強く映し出していたため、神の臨在の映し出しからイスラエルの民を守るために、彼はその顔を覆いで覆ったのです。古い契約のもとでは、彼らの罪が心をかたくなにし、神の栄光は彼らにとって耐え難いものとなっていました。 イエスの十字架での死によって新しい契約が結ばれ、私たちの罪は赦されました。聖霊は、かつて私たちと神とを隔てていた覆いを取り除くことができます。私たちは神が誰であり、どのようなお方であるかを見いだし、その理解が私たちを神のかたちへと変え始めます。この驚くべき変革は、私たち自身の意志や自己鍛錬によるものでは決してなく、ただ内に働く聖霊の御業によるものです。 ローマ人への手紙7章で、パウロが罪との戦いについて書いたのは有名です。聖霊の臨在があり、神のかたちへと変えられ続けている最中であっても、パウロは自分が望まないことをしてしまうのです(15~20節)。キリストにあって私たちはもはや罪の奴隷ではありませんが、依然として誘惑を受けることがあり、聖霊はしばしば私たちの動機や決断を「チェック」されます。興味深いことに、これは私たちの身体の最小構成要素である細胞にも当てはまります。細胞にも「チェックポイント」があるのです! 最近の研究で、平均的な人間の体には、およそ30兆個の細胞が含まれていると推定されています。 人体には約200種類の異なる細胞があり、それぞれ大きさや重さが異なります。体の中では、ある細胞は密集しており、別の細胞はより分散しています。 細胞は常に死滅し、同時に新しい細胞が作らています。細胞の種類によって、死滅し入れ替わる速度が違っても、すべての新しい細胞は同じ過程―細胞周期―を経て産み出されます。 正常な細胞は、制御された機構で細胞周期を通過します。細胞は、自身の内部状態に関する情報や周囲の環境からの刺激により、細胞分裂を進めるかどうかを判断します。この制御のおかげで、細胞は不利な条件下では分裂しないようになっています。例えば、DNAが損傷している場合や、組織や器官により多くの細胞が入る余地がない場合、良性または悪性の腫瘍が形成されます。 細胞周期のチェックポイント チェックポイントとは、細胞周期の中で、細胞が内的および外的な刺激を調べ、細胞分裂を進めるかどうかを判断する段階のことです。 チェックポイントはいくつか存在しますが、ここでは最も重要な3つについて説明します。 G1チェックポイント、G1/S移行において G1チェックポイントでは、細胞は内的外的条件が分裂に適しているか確認します。以下の事象を細胞は見極めます。 大きさ:細胞は分裂するのに十分な大きさか? 栄養:細胞は分裂するのに十分なエネルギー備蓄または利用可能な栄養素を持っているか? 分子シグナル:細胞は隣接する細胞から正の合図(例えば増殖因子)を受け取っているか?新しい細胞を追加するのに十分な空間があるか? DNA損傷:DNAに損傷があるか? もし細胞がこれらの必要な基準を満たさなければ、細胞周期を離れてG0期(静止期)と呼ばれる休止状態に入ることもあります。いくつかの細胞は永久にG0期に留まり、その他の細胞は条件が改善すれば分裂を再開します。 2. G2チェックポイント、G2/M移行において 大きさ:適切な細胞のサイズであるか確認する。 タンパク質:細胞は十分なタンパク質の備蓄を持っているか? DNAの完全性:DNAに損傷があるか? DNA複製:S期にDNAは完全に複製されたか? もしエラーや損傷が検出された場合、細胞はこのチェックポイントで一時停止し、修復することができます。チェックポイントの仕組により、DNAの問題が発見された場合、細胞周期は停止し、細胞はDNA複製を完了させるか、損傷したDNAを修復しようとするのです。 損傷が修復不可能である場合、細胞はアポトーシス、すなわちプログラムされた細胞死を起こすこともあります。この自己破壊の仕組みは、損傷したDNAが娘細胞に受け渡されないようにし、それががんを防ぐのに重要となります。 3. Mチェックポイント/紡錘体チェックポイント、中期/後期移行において 付着:染色体は紡錘糸に正しく付着しているか? この時点で誤りがあると、複製された染色体が2つの新しい娘細胞の間で不均等に分配され、お互いに、そして親細胞にも同一ではなくなる。 細胞のように微小なものの中に、自己監視する力を神が埋め込まれたというのは、驚くべきことではないでしょうか。神は平和と秩序の神であり、創造物のすべてはその御心を反映しているのです。私たちは不完全なままですが、神は私たちに御霊を送り続け、「チェックし」、監督し、導いてくださるのです。私たちは自分自身の力では何ひとつ成し遂げることができないですが、「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します!」(ローマ人への手紙7章25節)。 ID 308144315 © Kpzoobot | Dreamstime.com
心を探して
23 神よ、私を探り 私の心を知ってください 私を調べ 私の思い煩いを知ってください。 24私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139章23-24節、新改訳2017) この聖句はダビデの祈りであり、ダビデは神に自分の心を調べ、隠れた罪や間違った道を明らかにするよう求めている。 詩篇の最後にて、ダビデは人間の肉体の複雑さと神の霊からは逃れられないことに驚嘆している。神は私たちがいつ座り、いつ起きるか(2節)、私たちの考え(2節)、そして言葉にならない言葉(4節)さえも知っておられる。私たちが深みに降りたと感じても、天に座っていると感じても(8節)、神の御臨在はそこにある。私たちのことをこれほど詳しく知っておられる神を怖いと感じたり、警戒したりする人もいるかもしれないが、ダビデは神の変わらぬ寄り添いと、私たちの造りに対する深い理解を喜んでいるようだ。23節と24節を読むと、これらの節は、私たちを丁寧に創造し、あらゆる面で私たちを世話したいと切に願っておられる愛に満ちた神、その神からの導きと清めを求めるダビデの謙虚な願いに思えるのだ。ダビデはすでに1節から16節までで、神はすでに自分のすべてを知っておられると宣言している。それゆえこれらの節は信頼の表明であり、ダビデは、自分が胎内に宿る前からすでに始まっていた探求を、神に続けてもらうよう招いているのだ。 ダビデの時代には、「心」を探求するとは、内面的な思いや感情を理解しようと追求するーもっと言えば魂の探求である。ところが、今日において、医師は常に患者の「心」臓を調べている。 カテーテル検査は、動脈の詰まりや不整脈等、特定の心臓や血管の問題の検査や治療である。それはカテーテルと呼ばれる細くて中が空洞のチューブを使う。このチューブは血管を通って心臓まで導かれる心臓カテーテル検査で、心筋や心臓の弁、心臓内の血管について重要で詳細な情報が分かる。 処置中に、医師は心臓内の圧を測ったり、狭まったり詰まった動脈を拡げるといった治療を施すことができる。時には、検査のために心臓の組織の一部を採取することもある。 患者の心臓に冠動脈の狭窄が起こっている場合、医師は血管形成術を行う。冠動脈形成術とは、心臓の詰まった血管を開く処置である。冠動脈形成術は心筋へ血液を運ぶ冠動脈と呼ばれる血管を治療する。カテーテルという小さな風船付きの細いチューブが使われ、詰まった動脈を拡げ、血流を改善する。 血管形成術の後には、ステントと呼ばれる小さい金属のメッシュ状のチューブが留置されることが多い。ステントは動脈を開いた状態で保ち、再び動脈が狭くなっていく可能性を減らす。ほとんどのステントは薬品でコーティングされており、動脈を開いたまま保つことに役立つ。 血管形成術とステント留置は、心筋への血流を改善するために計画的に行われる場合がある。この処置は心筋梗塞の緊急治療としてなされることもある。 血管形成術後、医師は患者と会って結果について話し合う。医師は狭窄部分と問題部分を治療するのに使われた方法、これ以降の合併症を防ぐために患者が気を付けることについて説明する。 心臓はいわゆる神秘的な臓器であり、通常は問題ないように思われる―そうでなくなるまでは。心臓はいつもどおり将来も動き続けるのが当然と思っていて、狭窄は自分ではわからないので、医師に調べ始めてもらうのには、私たちからお願いしなくてはならない。 私たちの多くは、私たちの心臓(魂)は同じように神秘的なものである。内面で何か変だと感じるとき、原因を探ったり解決策を求めることをせずに、痛みを無視したり、覆ったり、あるいは感じないようにしたりする。 恐れ、不安、落ち込み、あるいは何かほかの霊的な障害があなたを押しつぶそうとしていると感じるとき、ダビデの単純な願いを真似してみることをお勧めする。感謝を持って心に留めておくことは、いかに神が「畏れられるほどに、また驚くべきほどに」(14節)あなたを創造してくれたこと、そして、あなたが神を遠くにまたは近くに感じても、神はあなたと共にいることである。(7-12節) あなたの奥深くにある霊的な心を見てもらうよう神にお願いしよう。そしてあなたの苦難を愛でもって助けてくださることを信じるのだ。文字通りの心臓と比喩的な心の内部の働きは不可思議なものかもしれないが、主には謎などないのだ。 1 主よ あなたは私を探り 知っておられます。 2 あなたは 私の座るのもたつのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。 3 あなたは私が歩くのも伏すのも見守り 私の道のすべてを知り抜いておられます 4 ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ あなたはそのすべてを知っておられます。 5 あなたは前からうしろから私を取り囲み 御手を私の上に置かれました。 6 そのような知識は私にとって あまりにも不思議 あまりにも高くて 及びもつきません (詩篇139章1-6節 新改訳2017) ID 29028070 © Alila07 | Dreamstime.com ID 104660465 © Designua | Dreamstime.com https://www.mayoclinic.org/tests-procedures/coronary-angioplasty/about/pac-20384761
次世代の人々へ
創世記 17章7節 7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。(新改訳2017) 主はアブラハムとその子孫との間に、契約を交わされた。主は彼らの神であり、彼らの子孫の神であると約束され、世代を超えた祝福と主の約束は永遠に続くものであることを意味する。 詩篇119章90節 90 あなたの真実は代々に至ります。 あなたが地を据えられたので 地は堅く立っています。(新改訳2017) 主の誠実さは、すぐに消えてしまうようなものではなく、時代や世代を超えて続く一貫した永続的なものである。 神の誠実さは、ある時代、ある集団に限定されるものではなく、歴史を通して不変のものなのだ。 詩篇100章5節 5 主はいつくしみ深く その恵はとこしえまで その真実は代々に至る。(新改訳2017) 主の愛と誠実さは結びついている。その愛は永遠に耐え忍び、誠実さは代々にわたって続く。 詩篇103章17節 17しかし 主の恵みは とこしえからとこしえまで 主を恐れる者の上にあり 主の義は その子らの子たちに及ぶ (新改訳2017) 主の愛と義は、主の意につき従う未来の世代にまで及ぶ。 前の詩篇と同様、この詩篇も主の誠実さが長く続くことを強調している。 神の愛と誠実さは、私たちの現実をはるかに超えて、私たちが出会うことのない世代の家族にまで及んでいることを思うと、心が安らぐものだ。しかし、私たちの子孫は神の祝福を受け継ぐだけでなく、私たちの身体的特徴も引き継ぐ。 私の2人の娘を見てみると、肌の色、髪の色、身長は正反対だ。 しかし、それぞれが私の家系と父親の家系から受け継いだDNAの確かな遺伝配列を持っている。 科学の世界では、遺伝学者が世代図や血統図を用いて、家系内に発生している疾患をつきとめ、次世代においてそれに罹る可能性を予測しようとする。 嚢胞性線維症(CF)は、遺伝で継承される疾患で、肺、消化器系、その他の臓器に損傷を与える。 嚢胞性線維症(CF)は、粘液、汗、消化液を作る細胞に悪影響を与える。 分泌液とも呼ばれるこれらの液体は、通常、体内の管や導管を保護しスムーズな経路を作るために、希薄で滑りやすい。 しかしCF患者では、遺伝子の変異により、分泌液が粘着性を持ち濃くなる。 特に肺や膵臓では、分泌物が管を詰まらせてしまう。 CFは、時間の経過とともに悪化し、日常的なケアが必要となるが、CF患者は、通常、学校や仕事に行くことはできる。 また、数十年前に比べ、生活の質も向上している。 米国では、新生児スクリーニングのおかげで、生後1ヶ月以内、症状が出る前に嚢胞性線維症と診断されることがある。 しかし、新生児スクリーニングが可能になる前に生まれた人々は、CFの症状が現れるまで診断されなかったかもしれない。 検査と治療の向上で、現在ではCF患者は50代半ばから後半まで、あるいはそれ以上生きられる可能性があり、人生の後半に診断される患者よりも生活の質を保っている。 嚢胞性線維症(CF)は常染色体劣性遺伝の疾患である。 CFの遺伝子は7番染色体にある。 もし7番染色体の両方に遺伝子欠陥があれば、それにより病気に罹患することになる。 7番染色体の片方のみの場合は、罹患しない。 彼らは疾患の保因者であり、次世代に引き継がれる可能性がある。 上の家系図は、嚢胞性線維症(CF)が3世代にわたって継承されることを示している。 第I世代の両親とも嚢胞性線維症の保因者である。 この場合、二人の間の子は25%の確率で嚢胞性線維症疾患を受け継ぐ。その両親は第II世代となる3人の子供をもうけた。最初の子供は女の子で、7番染色体のどちらにもCF遺伝子を持たなかった。 彼女は、同じくCF遺伝子を持たない男性と結婚した。 そのため、第III世代となる彼らの3人の子供たちは、7番染色体にCF遺伝子を持っていない。 第I世代両親の二番目の子どもは男の子だった。この子は7番染色体の両方にCF遺伝子を受け継いだので、CFに罹患した。彼は結婚しなかった。 三番目の子供は娘で、CFの保因者だった。彼女は同じくCFの保因者と結婚した。彼らは第III世代となる四人の子供をもうけた。最初の子供は男の子で、7番染色体の両方にCF遺伝子を受け継いだ。それにより、CFに罹患した。二番目の子供は娘で、CF遺伝子をどちらの親からも受け継がなかった。三番目の子は男の子で同じくどちらの親からもCF遺伝子を受け継がなかった。最後の四番目の子は女の子で、CF遺伝子を7番染色体両方に受け継いだ。よって、疾患に罹患した。 この家系図により、遺伝カウンセラーはIII世代の子らに、CFに罹患した子供が生まれる確率についてアドバイスできる。嚢胞性線維症は男女どちらにも遺伝することが分かると思う。そしてこの疾患は劣性遺伝なので、世代を一つとばすことがよくある。 継承した遺伝子、受け渡した遺伝子はどうすることもできないことに苛立ちを感じることもあるだろうが、私たちには、周囲の人々にどのような精神性や特性を示すかということに関しては選択肢が残されている。 受動的に受け継ぐDNAとは異なり、私たちが他人に影響を与える価値基準は、能動的かつ自発的な判断によるものだからだ。 箴言22章6節 6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。 そうすれば、年老いても、それから離れない。(新改訳2017) 詩篇145章1-7節 ダビデの賛歌。 1… Continue reading 次世代の人々へ