主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼をみつけ、これを抱き、世話をし、
ご自分の瞳のように守られた(申命記32:10新改訳2017,2018)
この節では、“彼”とは、エジプトを脱出し、約束の地カナンへ向かっていたイスラエルの民のことを指します。その旅の間、イスラエルの民は40年間シナイ砂漠の荒野をさまよい歩いたのです。
この時期、神様は彼らを見つけてくださいましたが、それはたまたまではなく、自らのご意志により、そうされていました。 昼は雲の柱で、夜は火の柱で、彼らに道を示されました。そうすることで、彼らは昼も夜も進んで行けたからです。(出エジプト記13:21) また、石の板2枚に書かれた律法を授けられました。(出エジプト記20:1-17) 朝には、天から露のように降ってきたマナと呼ばれるパンで、夜には、飛んできたウズラの肉で(出エジプト記16:8)、そして、岩から出した水で(出エジプト記17:6)、彼らを養いました。
荒野で道に迷ったときに、神様は必要なものをすべて与えてくださると信じることに、迷いがあるでしょうか? 読み進めてもらうとわかりますが、神様が人間の眼を創造されたとき、手あたり次第にされたのではないのです。神様は、それぞれの構造が特別な機能を持つように、意図的に設計されたのです。
眼窩の7つの強靭な骨は、眼を収容し、保護し、そしてサポートするための‟窪み”を形作っています。まぶたは日光や異物より眼を守ります。眠っている時は閉じて、眼を保護し、潤いを保ちます。眉とまつげも破片が眼に入るのを防ぎます。
眼の一番外側の層となる角膜は、感染症から守ります。房水は目の角膜と水晶体に水分と栄養を与えます。
いかがですか? もし荒野で道に迷ったら、神様はあなたに必要なものをすべて与えてくださる、と信頼することはできますか? 神様はできる!と信じてください。神様はあなたを探しておられます。神様の方を振り向き、導いていただき、教えを請い、栄養を与えていただき、守っていだたきましょう。あなたは、神様の眼の瞳なのですから!