あなたの眼のリンゴのように私を守り(詩編17:8 NIV和訳)
*新改訳では、「瞳のように私を守り」(詩編17:8新改訳2017, 2018)と訳されていますが、NIVでは、Keep me as the apple of your eye; 訳「あなたの眼のリンゴのように私を守り」となっています。
私は最近、ある日曜日の聖書勉強会で、この表現に出会いました。そこで思ったのは、ダビデはなぜ、神様の眼の“リンゴ”のように…と願うのか、ということでした。
そしてさらに、そもそも眼のどの部分がリンゴなのでしょうか? 好奇心を抑えることが出来ず調べた結果、“眼のリンゴ”とは、瞳孔のことを指すということがわかりました。古代において、瞳孔は、リンゴのように丸い固体であると信じられていたのです。
現代では、瞳孔が固体ではなく、眼球の色のついている部分、虹彩の中心にある孔であることがわかっています。虹彩の筋肉は大きさや形を変えながら、瞳孔を通る光の量を調節しています。視覚にとって光はなくてはならないものであり、瞳孔はとても大切であると考えられていました。
なので、ダビデが「あなたの眼のリンゴのように私を守り」(詩編17:8 NIV和訳)、と神様に願ったのは、神様の満ち溢れた愛の対象である、慈しまれた子供として自分を見てほしいという思いだったのです。
友人の目をよく覗き込んだ時、まるで鏡のように、あなたの小さな姿が映っていることに気づいたことはありますか?ヘブライ語で、“眼のりんご”とは、「眼の中の“小さい人”」と訳されます。–愛しさにあふれた呼びかけの言葉ですね。
同じ事が私たちと神様との関係においても言えます。あなたの友人の目の中に、小さくあなたが映っているのが見えるように、神様は、あなたを見るときに、ご自身の姿が小さく映っているのをご覧になっているのです。あなたは神様の姿に似せて創造されたということを知っていますか?あなたは神様の慈しまれた子供であり、大切な宝なのです。あなたは神様の眼の中のリンゴなのです!