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天国の息吹

一度だけささげられたイエス

10 1 律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。2 それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。 

3ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。4 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。5ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。

「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、

 わたしに、からだを備えてくださいました。

6 全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を

 あなたは、お喜びになりませんでした。

7 そのとき、わたしは申しました。

『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。

神よ、あなたのみこころを行うために。』」

8 以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、9それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。10 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(ヘブル人への手紙 第10章1-10節、新改訳2017)

イースターの3日前の聖金曜日は、イエス・キリストの十字架刑と死を記念して祝われる。 上記の聖句の中で、ヘブル人への手紙の著者は、2000年以上前にイエスが苦しみ死なれた理由を説明している。 旧約の下で、神はご自分の民に罪から清められる方法を与えておられた。 しかし、この犠牲のシステムは一時的なものであって、神がひとり子イエスを差し出して、私たちのために一度きりの犠牲を払ってくださるまでの間だった。

16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書第3章16-17節、新改訳2017)

ヨハネの福音書3章16節にある言葉「神は御子をお与えになった」は、御子がどのように捧げられたのかを深く考えずとも、たやすく読める。 イースターはきれいな祝日だ。きれいな花、きれいなドレス、きれいなジェリービーンズ。 そうあるべきだ。 イースターは復活を祝うものであり、私たちのために死んでくださった方が今も生きておられることを確認するものだ。 赦しの奇跡と永遠の命の約束は美しい。

しかし、聖金曜日の犠牲はきれいなものだったとは言い難い。十字架刑による死は、設計上、長時間にわたるものだった。 結局、十字架刑の人は、呼吸がうまくできずに窒息死する。 伸ばした腕と胸で支える体の重さが肺の拡張を制限し、息を吐くのを難しくした。 十字架上の人たちは、何とか呼吸しようと足で体を押し上げようとしたため、当直の兵士たちは、イエスと一緒に十字架に貼り付けになった二人の男の足を折ってしまった。 彼らの死に時間がかかりすぎたのだ。

呼吸は胸部と腹部の筋肉によって自発的になされ、横隔膜が呼吸に使われる主な筋肉である。 横隔膜は肺の下にあるドーム状の筋肉で、胸腔と腹腔を隔てている。  息を吸うとき、横隔膜は収縮して下方に移動する。 これにより胸腔内の空間が広がり、空気が流れ込んで肺が拡張する。 息を吐くと、横隔膜は弛緩し、ドーム状に戻る。 肺から空気が抜けると、肺は勝手にしぼむが、これは伸縮性のある風船が開放されたまだとしぼむのと同じである。

聖金曜日はきれいな光景だったとはいえないが、犠牲の子羊としてのイエスは必要であった。イエスが十字架上で息を引き取られたので、私たちが聖霊によって魂に新しい命が吹き込まれたのかもしれない。

イエスは天に昇られる前に、弟子たちに次のように語られた。

44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」 45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、 46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』 エルサレムから開始して、 48 あなたがたは、これらのことの証人となります。49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなた方に送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 (ルカの福音書第24章44―49節 新改訳2017)

このイエスから弟子たちへの最後のメッセージは、あなたとわたしに向けたものでもある。聖霊の力により福音を広め、壊れた世の中に希望をもたらすのだ。息をするたびに、私たちは主を高く上げ、褒めたたえる機会を得ているのである。

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