Chinese Category

身体

BLOG NOVEMBER 2020 16 如果耳朵说:"因为我不是眼睛,所以我不属于身体。"它不会因此而不再是身体的一部分。17 如果整个身体是眼睛,哪里会有听觉呢?如果全身是耳朵,嗅觉又在哪里呢?  (哥林多前书12:16-17 NIV) 使徒保罗在头十八个月与哥林多的信徒一起建立他们的教会团体。 他至少又去了两次哥林多。 他也给哥林多教会写信。他把自己看作是哥林多教会的父亲,不断地肯定他对他们的爱,即使是在有必要进行纠正和管教的时候。 在这封信中,保罗谈到了教会的不团结,因为一些成员因为他们在教会中的地位而自称比其他人好。 这使其他教会成员感到他们没有用处,也不被教会团体所需要。 保罗用身体的部位来比喻,神把它们放在身体的什么地方,它们的形态,以及它们的用途。 例如眼睛的结构、位置和用途是身体所必需的,但它的结构、位置和用途与耳朵不一样。 而耳朵也是如此。 它的结构、位置和目的与鼻子的结构、位置和目的不同。但这三个部分都是身体整体的必要条件。 当我在教授高中人体解剖与生理学时,每年我们班都会去肯塔基大学的科学与健康职业机会拓展中心参观。 在其中一次参观中,我记得在教室里有一张桌子,上面摆放着不同的人体标本。 主讲人用戴着手套的手拿起一个人的大脑,问道:"你们身体的哪个部位能看到?"  当然,学生们异口同声地回答:"眼睛"。 接着,演讲者又问:"身体的什么部位能听到?"  学生们再次回答:"耳朵" 演讲者继续解释说,眼睛的结构很完美,可以把图像带入身体。但我们永远不会看到图像,除非它被枕神经转移到大脑中处理视觉的区域。 耳朵也是如此。 耳朵的结构非常完美,可以把声音带入身体。 但声音需要由听觉神经传递到大脑中处理声音的区域。 你猜对了吧!  鼻子和嗅觉也是如此!  还有舌头和味觉! 演讲者举起大脑,宣称:"是大脑看到、听到、闻到和尝到了什么!" 这些感觉器官的位置都在头部,这不是偶然的。 如果眼、耳、鼻、舌都位于手部呢?或者是脚? 不仅身体看起来真的不一样,而且它们各自的作用是捕捉图像、声音、气味和味道,并将它们转移到大脑中,这无疑是一个挑战! 你有没有发现自己在工作中、在学校、在运动队或在教堂里,觉得自己不如别人重要或有用?就像每个器官都能捕捉到自己的视角刺激并将其传递给大脑一样,一个团体的成员也是如此。每个成员都为整个身体贡献了自己独特的技能和天赋。就像人的自然身体一样,各成员应该以最牢固的爱的纽带紧密结合在一起;整体的利益应该是所有人的目标。所有的基督徒都是互相依靠的;每一个人都要期待并接受其余人的帮助。那么让我们在身体上寻求合一。请记住使徒保罗在哥林多前书 12: 18-20 中的话。 18其实神把身体里的各个部分,每一个都按着他所要的安置。19如果他们都是一个部分,身体会在哪里呢?20现在是这样,有许多部分,但有一个身体。 Olfactory cortex (smell):嗅觉皮层 (嗅觉) Auditory cortex(hearing):听觉皮层 (听觉) Visual cortex (sight):视觉皮层 (视觉) Auditory cortex(hearing):听觉皮层 (听觉)

Japanese Category

人体(その2)

BLOG November 2020 16たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。17もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。(コリント人への手紙第一12:16-17新改訳2017,2018) 使徒パウロは最初の18か月間をコリントの信者たちと一緒に過ごし、教会の共同体を築いた。その後も少なくとも2回はコリントを訪問した。またコリントの教会に手紙を書いた。パウロは、自分自身をコリントの人々にとっての父親のような存在であるとし、たとえ矯正や規律が必要な時でも、絶えることなく彼らに愛を示した。この手紙の中で、パウロは教会内の不和を取り上げている。教会内での立場を理由に、自分は他の人よりも優れていると主張するメンバーたちにより引き起こされたものであった。これによって、他のメンバーたちは、教会の共同体の中で自分は役に立ってないとか、必要とされていないと感じていた。 パウロは身体の器官について、神がそれらをどこに配置されたか、その形状と用途を類推を用いて説明している。例えば、目の構造や位置とその用途は、身体にとって必要なものだが、それは耳の構造、配置と用途と同じではない。耳も同じで、その構造、配置と用途は鼻のそれとは違う。しかし三つとも全部、身体が完全体となるには必要なものなのだ。 高校で人体解剖学と生理学を教えていたころ、毎年私のクラスはケンタッキー大学にある、「科学・医療系キャリアのためのアウトリーチセンター」を訪問したものだ。ある時の訪問で、教室の中に、いろいろな人体の標本が一列に並べられたテーブルがあったのを覚えています。話し手は、手袋をはめた手で、脳を持ち上げ尋ねた。「身体のどの部分が“見る”のでしょう?」もちろん生徒たちは一斉に答えた。「目です。」そして話し手は尋ねた。「身体のどの部分が“聞く”のでしょうか?」また、生徒たちは答えた。「耳です。」 話し手は引き続き説明した。目は、身体の中にイメージを取り込むのに完璧に作られてる。しかし、後頭神経により、そのイメージが、視覚を処理する脳の領域へ伝達されなければ、私たちは見ることはできない。同じことが耳にもいえる。耳は身体に音を取り込むのに完璧に作られている。しかし、音は聴覚神経により、音を処理する脳の領域へ伝達される必要がある。そして、あなたが思った通り!鼻と嗅覚も同じ、舌と味覚も同じだ。話し手は脳を持ち上げ、「見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったりするのは脳なのだ。」と言明した。 反時計回り: 嗅覚皮質(嗅ぐ 聴覚皮質(聞く)視覚皮質(見る)味覚皮質(味わう)      これらすべての感覚器官が頭に配置されているのは、偶然ではない。もし目が、耳が、鼻や舌が手にあったとしたら?足だったら?身体の形がまるで違うだけではなく、それぞれの役割である、画像、音、匂い、味を捉え、脳へ伝達するのはとても難しくなるであろう。 あなたは今まで、職場や学校、スポーツチームで、あるいは教会内で、自分は他の人よりも大切にされていない、あるいは役にたっていないと感じたことはないだろうか?各器官がそれぞれの見地からの刺激を捉えて脳に伝えるように、グループのメンバーも同様である。各メンバーはそれぞれのユニークなスキルと才能で、組織全体に貢献していまる。「肉の身体」で生きている時は、メンバーは強い愛の絆によって密接に結ばれているべきで、全体にとって善となることが、皆の目的になるべきだ。すべてのクリスチャンは、お互いを頼り、他から助けを得られることを期待し、それを受け入るのである。そこで、身体の中の統一性を考えてみよう。パウロの言葉を、コリント人への第一の手紙12:18-20で覚えておこう。 18しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。19もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。20しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。(コリント人への手紙第一12:16-17新改訳2017,2018)