ラザロの死
11 1-3 さて、ある人が病気にかかっていた。べタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためでのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
5-7イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
8 弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」
9-10 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光りがないからです。」
11 イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」
12-13 弟子たちはイエスに言った。「主よ、眠っているのなら、助かるでしょう。」イエスは、ラザロの死の事を言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。
14-15 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」
17-20 イエスがおいでになると、ラザロは墓の中に入れられて、すでに四日たっていた。18 ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほど離れたところにあった。19 マルタとマリアのところには、兄弟たちのことで慰めようと、大勢のユダヤ人が来ていた。20 マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた。
21-22 マルタはイエスに行った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。 しかし、あなたが神にお求めになることは何でも、神があなたにお与えになることを、私は今までも知っています。」
23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
24 マルタはイエスに言った。「終わりの日のよみがえりの時に、私の兄弟がよみがえることは知っています。」
25-26 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
27彼女はイエスに言った。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
28 マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」
29-32 マリアはそれを聞くと、すぐに立ち上がって、イエスのところに行った。イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた。マリアとともに家にいて、彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリアが急いで立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、ついて行った。マリアはイエスがおられるところに来た。そしてイエスを見ると、足元にひれ伏していった。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
33-34 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに、
34-35「主よ、来てご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。
36ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」
37 しかし、彼らのうちのある者たちは、「見えない人の目を開けたこの方も、ラザロが死なないようにすることはできなかったのか」と言った。
38-39イエスは再び心の内に憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれて塞がれていた。イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」
40イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」
41-42そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
43-44そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出てきなさい。」すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたまま出て来た。彼の顔は布で包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
(ヨハネの福音書 11章1-44節, The Message, 新改訳2017)
11年前、私の親しい友人が、後遺症の残る脳卒中を患いました。さまざまな脳卒中のリハビリに取り組み、また家族の支えもあって、彼女は今も時折、自身のブログサイトに記事を投稿し続けています。
去年の春、「涙という贈り物」というタイトルのブログを書きました。以下は、ブログ記事から抜き出したものです。
「もし、私がどれほど思い切り泣きたいと思っているか、あなたに分かってもらえたら! 変に聞こえるかもしれませんが、私は脳卒中を起こして以来、本当に泣くことができなくなってしまいました。今日、それが私にとって最大の喪失の一つなのだと感じています。涙は、これまでずっと私にとって、人生を大きく変える瞬間の一部でした。特に、何かを手放し、信仰によって別のものをつかみ取ろうとしているときに。涙はしばしば、新しい始まりのしるしなのです。」
涙を流すことが、これほど人間に避けられていることに、私は驚かされます。泣くことはしばしば、大きな解放感や慰めをもたらしてくれるのに。たとえ、何も変わらないとしても。
それなのに、私たちの多くは、どんなことをしてでも泣くことを避けようとします。気をそらしたり、気持ちを振り払おうとしたりして、まるで本当に涙を乾かしてしまえるかのように。少しの涙なら、そっと拭うことができます。でも、心の底から泣きじゃくるような嗚咽は、自分では慰めようもなく、手に負えないような気持ちにさせます。でも、私たちはコントロールしたいんですよね?
イエスと共に歩み、イエスのような者になりたいと願う中で、私は、イエスが抱いた感情を認め、それを理解しようと強く導かれてきました。私は、感情においても誠実でありたいと願ってきました。人生で受けるいくつかの厳しい打撃には、それにふさわしい感情が伴うべきだと私は思っています。数え切れないほど存在する人生の不公正に対して、罪を犯すことなく怒りたいと思っています。自分や他の人に危害が及ぶことを、恐れるべきときには恐れたい。本当に失ったものについて、ちゃんと悲しみたい。愛する人たちが、自分よりも仕事や趣味、その他の愛するものに多くの時間や愛情を注いでいるときには、イエスと同じように、適切な意味で嫉妬したいとさえ思っています。けれども私は、とりわけ、イエスが泣かれるときには、私も泣きたいのです。ヨハネの福音書11章では、イエスがラザロを失ったことのために泣いていたのか、それとも、深い悲しみの中にいた姉妹たちのために泣いていたのか、実際のところ私たちには分かりません(ヨハネの福音書11章33–35節参照)。私は、イエスの涙は、ご自身の喪失のためでもあり、彼女たちの喪失のためでもあったのだと思います。
イエスのようになるということは、たとえその先に復活と贖いがあると分かっていても、他の人が泣いているときには、ともに泣くことを学ぶということです。イエスは、悲しみと喜びの両方を同時に感じておられました。そして、私たちもできるのです。悲しみと喜びは、同時に真実であり、同じ心の中で、同じ時にその両方を感じることができるのです。これは、私には理解せずとも、体験することのできる神秘なのです。
神様は、目的に合わせて様々な種類の涙を作り出すよう、我々の目を創造されました。科学者たちは人間の涙を、大まかに三つのカテゴリーに分類しました。
感情の涙 先ほど、悲しみや悲嘆に対する反応として説明した「感情の涙」は、喜びや幸福を感じたときにも流れます。また、傷心や別れ、身体的な痛み、共感や思いやり、さらには、畏敬の念、美、愛国心、強い思い入れといった、道徳的・感傷的な感情によっても生じます。
基礎分泌涙
基礎分泌涙は、目の中に常に存在しています。角膜を潤し、栄養を与え、保護するためです。角膜とは、目の前面にある透明でドーム状の外側の層で、虹彩、瞳孔、前房を覆っています。基礎分泌涙は、目と外の世界との間に常に存在する「盾」のような役割を果たし、ほこりや異物が目の中に入るのを防いでいます。
反射性の涙 煙や異物、玉ねぎの刺激性の蒸気など、有害な刺激物が目に入り、それを洗い流す必要があるときに、反射性の涙が作られます。目は基礎分泌涙よりも多量の反射性の涙を分泌し、そこには細菌と戦うための抗体がより多く含まれていることがあります。
涙は、単なる水より機能があります。涙には、感染やほこり、目の損傷から目を守る、強力な自然の防御成分が組み合わさって含まれています。
ここでは、涙に含まれる主な防御物質を紹介します。
- リゾチーム:天然の抗生物質のように働く酵素です。有害な細菌の外側の細胞壁を攻撃して溶かし、目の感染症を引き起こす前に細菌を破壊します。
- 抗体/免疫グロブリン:危険なウイルスや細菌を認識して結合する小さなタンパク質です。それらに目印をつけ、免疫システムが破壊できるようにします。
- ラクトフェリン:細菌は成長して増殖するために鉄を必要とします。ラクトフェリンは、涙の中にある遊離した鉄を取り除くタンパク質です。つまり、細菌から鉄を奪って飢えさせることで、細菌が生き残れないようにします。
- リポカリン:涙を目の表面全体に均一に行き渡らせるタンパク質です。また、有害な物質を取り除き、それらが目の表面に付着するのを防ぎます。
- ムチン:目の表面を覆っている、ゲル状の粘液の層です。ハエ取り紙のような働きをして、ほこりやごみ、細菌などを捕らえ、まばたきをしたときにそれらが洗い流されるようにします。
- 脂質/油分:
まぶたにある小さな腺でつくられ、涙の膜のいちばん外側を覆う油性の層です。涙が早く蒸発しすぎるのを防ぎ、目が乾燥したり炎症をおこしたりするのを防ぎます。
涙の生成に関係のある人間の目の仕組みは以下の絵の通りです。

最後に、上記の聖句に戻りますが、イエス、マリア、マルタと友人たちが流した感情の涙は、彼らが愛したラザロが亡くなったからでした。ところがこれが話の結論ではありません。イエスはラウルを復活させ、喜びと希望の涙を引き起こしたのです!
ラザロの家族や友達は、弟子たちも同様ですが、なぜイエスがラザロを治さなかったのか理解していませんでした。なぜイエスは、ラザロが病気だと聞いたときに、すぐにベタニアへ行かなかったのでしょうか?上記の聖句をもう一度読んでみましょう。
ヨハネの福音書11章41-42節 ―41-42そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。あなたはいつでもわたしの願いを聞いてくださると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
45節まで読み勧めでください。―マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。
詩篇30章4-5節, 新改訳2017
4 主にある敬虔な者たちよ、主をほめ歌え。主の聖なる御名に感謝せよ。
5 まことに 御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。
https://teachmeanatomy.info/head/organs/eye/lacrimal-gland
https://www.aao.org/eye-health/tips-prevention/facts-about-tears
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