この聖句は、神のことばを用いて誘惑に打ち勝つことができると教えています。イエスは旧約聖書のことばを語ることで、サタンの嘘に対して神の真理を示し、勝利されました。 荒野で試みを受けるイエス 4 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 2 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。3 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 4イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 (マタイの福音書 第4章1-4節 新改訳2017) (イエスは申命記 第8章3節を引用して)3それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。 5すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6こういった。 「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする。』と書いてあるから。」 7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」(マタイの福音書 第4章5-6節、新改訳2017) (イエスは申命記第6章16節を引用して、) 8悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、9こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。』 10 そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある」 (イエスは申命記第6章13節から引用して)13あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。また御名によって誓いなさい。 11 すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。(マタイの福音書 第4章4-11節、新改訳2017) この聖書箇所は、イエスが神の子としての神的権威を示し、力強い行動によって御父の家を清められたことを描いている。それは権威と力の顕著な表れであると同時に、宗教指導者たちへの挑戦でもあった。 神殿でのイエス 12 それから、イエスは宮に入って、その中で売り買いしている者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛を倒された。 13そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣」にしている。』(マタイ第21章12-13節 新改訳2017) (イエスは旧約聖書の2つの節を引用して) 彼らの全焼のささげ物やいけにえは、 わたしの祭壇の上で受け入れられる。 なぜならわたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ。(イザヤ書第56章7節 新改訳2017) 11 わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた―主のことば―(エレミヤ書第7章11節 新改訳2017) ここ二回のデボーションでは、読み書きの過程に関わる脳の部位について探ってきました。ですから、今回のデボーションには解剖学と生理学のセクションは含めていません。来月は、記憶に関わる脳のどの部分が働いているのかを学びます。ですから、ぜひ神の御言葉を暗記するようお勧めします。そうすれば、確信をもって『こう書いてある!』と言うことができるでしょう。まずは、この二つの聖書箇所から始めてください。私も一緒に暗記します! 箴言 第3章5-6節 新改訳2017 5 心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 6 あなたの行く路すべてにおいて、主を知れ。 主があなたの進む道をまっすぐにされる。 詩篇 第119章105節 新改訳2017 105 あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。 Thy Word, song by Michael W. Smith and Amy Grant https://www.youtube.com/watch?v=a6LC8cu03Ig あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。 恐れを感じるとき道に迷ってしまったと思うときもそれでもあなたは いつも私のすぐそばにいてくださる。 私は何も恐れません あなたが近くにいてくださる限りどうか終わりまで 私のそばにいてください。 あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。あなたのみことばは 私の足元を照らす灯 私の道を照らす光です。 私は忘れません私へのあなたの愛を それでもなお私の心はいつもさまよってしまう。 イエスよ 私の導き手となりあなたのそばにしっかりと留めてください。終わりまで あなたを愛します。 私は何も恐れません あなたが近くにいてくださる限りどうか終わりまで 私のそばにいてください。 あなたのみことばは 私の足元を照らす灯あなたのみことばは 私の足元を照らす灯私の道を照らす光です。私の道を照らす光。あなたこそ 私の道を照らす光です。
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神の言葉を読む
イエスは、人々が聖書を読んで理解することに責任を負うべきだと考えていました。なぜでしょうか。読み続けることで答えがわかります! ヨハネの福音書5章1節-18節には、イエスがエルサレムのベテスダの池にいた、38年間病気に罹っていた男を治した話が記されています。そこは、水がかき回されたときに病気が治ると、多くの病人たちが集まっていました。イエスはその男に「良くなりたいか」と尋ね、男が水の中に入ることができないと説明すると、イエスは「起きて床を取り上げ、歩きなさい」と命じました。すると男はすぐに癒やされ、床を取り上げて歩きだしたのです。安息日に床を取り上げて担いで歩くことは、ユダヤの律法に反しており、この奇跡の行いは、イエスの癒やしの力と、ユダヤの律法をも超える権威をも示したのです。 ユダヤ人の指導者たちは、イエスを迫害し始めました。これに対してイエスは、いつも働いておられる御父のとおり、自分も働いているのだと弁明されました。この発言は、イエスが神を「自分の父」と呼び、自らを神と等しい存在としていると、ユダヤ人の指導者たちをさらに怒らせました。安息日に人を癒やす権威について弁明した後、イエスはご自身がメシアであるという主張を裏づける証拠について語られます。 イエスについての証 31 もしわたし自身について証をするのがわたしだけなら、わたしの証言は真実ではありません。 32 わたしについては、ほかにも証をする方がおられます。そして、その方がわたしについて証しする証言が真実であることを、わたしは知っています。33 あなたがたはヨハネのところに人を遣わしました。そして彼は真理について証ししました。34 わたしは人からの証しを受けませんが、あなたがたが救われるために、これらのことを言うのです。35 ヨハネは燃えて輝くともしびであり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で大いに喜ぼうとしました。 36 しかし、わたしにはヨハネの証しよりもすぐれた証しがあります。わたしが成し遂げるようにと父が与えてくださったわざが、すなわち、わたしが行っているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わされたことを証ししているのです。37 また、わたしを遣わされた父ご自身が、わたしについて証しをしてくださいました。あなたがたは、まだ一度もその御声を聞いたことも、御姿を見たこともありません。38また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。(ヨハネの福音書5章31節-40節、新改訳2017) これです!なぜイエスが、私たちに聖書を読み、理解する責任があるとするのか。その理由は、聖書がイエスについて証ししているからです。ユダヤ人の指導者たちは、聖書を読むことの意味を取り違えていました。それは単にユダヤの律法を守るための服従行為ではなく、神の真理を知るため、すなわちイエスこそがメシアであることを知るために聖書を読むということだったのです。 読み慣れている人は、主に左半球にある脳の複数の領域を用い、それらを統合させます。 ・頭頂―側頭領域は、書かれた単語を音に分解します。(すなわち、単語分析、音読) ・後頭―側頭領域には、単語の綴りと意味が蓄えられています。(すなわち、文字-単語認識、自動処理能力、言語理解)これは、自動的ですらすらと読めることに極めて重要で、一語一語声に出して読まなくても、素早く単語を認識できます。 ・前頭葉は、話す能力を担います。(聞いたり話したりするときに、その音声を処理する) 大切なことは、読解過程において、様々な脳領域がそれぞれ特定の役割を担っているともいえるのですが、読解は複数の脳領域が協調して働いているということなのです。読む際の主な情報は脳の構造からなるネットワークによって支えられているのであり、一か所に限定されているわけではありません。各脳領域は、様々な種類の情報に反応し、そして処理に関わっています。 子どもの脳は、読解を会得するにつれて、その働きを変化させる必要があります。多くの児童にとって、小学校低学年での指導と練習は、読むことを学ぶために脳の各領域を「訓練」するのには十分と言えます。脳画像研究により、典型的な発達をする読者の脳は、読解を学ぶにつれて、解剖学的変化および機能面での変化がみられることが明らかになりました。。児童の読解力の差によって、脳領域における活動パターンが違うのです。 例えば、読み始めたばかりの読者は頭頂・側頭領域(単語分析)でより強い活動がみられる一方で、より熟練した読者では、後頭・側頭領域(単語認識)での活動が次第に増えるのです。幼い時期の豊かな言語経験により、読解技能(音素認識、文字音変換、語認識)の獲得により反応しやすい脳になります。 読みを学ぶことが過程であるように、聖書を読み、理解することもまた過程なのです。聖書を読み学ぶことは、新たな気づきとその意味をもたらします。イエスの到来を預言する旧約聖書、それらの預言の成就を記した新約聖書、共に私たちには、賜物として与えられているのです。 預言とその成就を並べた聖書箇所 14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7章14節、新改訳2017) 22 このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。 23 「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイの福音書1章22―23節、新改訳2017) 6 ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 7 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。 (イザヤ書9章6―7節、新改訳2017) 35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。(ルカの福音書1章35節、新改訳2017) https://keystoliteracy.com/blog/how-the-brain-learns-to-read/
神の言葉を書き記す
33 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである-主のことば-。わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(エレミヤ書31章33節 新改訳2017) この聖書の一節は、預言者エレミヤを通して告げられた神の「新しい契約」の約束を述べています。石の板に書かれた古い契約とは異なり、この新しい契約は人々の心と想いに刻まれ、外側からの強制ではなく、内側から神に従いたいと思うようになります。この内面の変革によって、神は本当に人々の神となり、人々は本当に神の民となることを確実にし、真の交わりと永遠の赦しに至るのです。 同様に、『箴言』の著者も「神の言葉を心に刻む」ことの重要性を語っています。そうすることで、人は知恵を得るのです。 1 わが子よ、私の教えを忘れるな。 心に私の命令を保つようにせよ。 2 長い日々と、いのちと平安の年月が、 あなたに増し加えられるからだ。 3 恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ それをあなたの首に結び、 心の板に書き記せ。 4 神と人の前に好意を得、聡明であれ。(箴言3章1節-4節 新改訳2017) 座って何かを書こうとしても、言葉が出てこないことはありませんか?あるいは、あなたの字は読みにくい、とよく言われませんか?実は、書くときの思考及び身体活動はとてつもなく精巧で複雑な工程であり、脳のいくつもの部分が関わるのです。私たちが書くときになにかしらの事で苦労するのは不思議ではありません。脳内では沢山のことが起こっているのです。 書くこと―思考の観点(アイデアを生成し、まとめる)から見ると、前頭葉・頭頂葉・側頭葉を中心とする複雑な脳領域ネットワークを使います。ほとんどの人では、これらは主に左半球が担っています。このプロセスは、アイデアの生成、言語の構成、運動の実行、に分けられ、それぞれが異なる脳領域に依存しています。 アイデアの生成と計画 ・前頭葉:自発的行動を制御する前頭葉は、文章の内容と構成を決める高レベルの計画性と論理的思考を管理する。 ・海馬:この領域は記憶の呼び起こしに不可欠であり、文を書くときに活かすことが出来る過去の出来事や事実、アイデアにアクセスし想起することができます。 言語処理 • ブローカ野:左前頭葉に位置するブローカ野は、言語生成に不可欠であり、考えを文法的に正しく首尾一貫した文章(口頭表現と文章表現両方)へと変換します。 • ウェルニッケ野:左側頭葉に位置するウェルニッケ野は、言語理解を担い、これにより自身が書く言葉や文章の意味を理解することができます。また、修正においても重要であり、書いた内容と言わんとすることを比較するとき役立ちます。 • 角回:この領域は視覚、聴覚、その他の感覚情報を統合し、言語処理を行います。知覚された単語とその意味を結びつける上で極めて重要であり、損傷すると書字障害(失書症)を引き起こします。 • 紡錘状回:特に手書きにおいて重要であり、左紡錘状回は視覚的単語認識と正字法コーディング(単語のつづり方)に関わっています。 手書きする時の身体の動きに関しては、脳の他の領域が活発に働きます。 運動制御 ・エクスナー野:左前頭葉にある特殊な領域で、手書きに必要な正確な手や指の動きの「運動記憶」を保持します。 ・前運動野:この領域は運動の計画を担当しており、手書きやタイピング行為の前に、手や指の動きを準備します。 ・運動野:運動野は前頭葉の後方にある帯状の領域で、文字を書いたりキーを押すのに必要な手の動きを実行するために、筋肉へ信号を送ります。 ・小脳:この領域は書くために必要な運動を調整し制御します。特に手書きの際に活発になり、動作を滑らかにします。 ・上頭頂皮質:この領域は、文字の大きさ・形・ページ上での文字の位置をコントロールするために必要な空間処理を担当します。 最後に、手書きとタイピングの違いについて。fMRI を用いた研究によると、手書きはタイピングに比べて、より広範な脳領域のネットワークを活性化させることがわかっています。そのため、教師の多くは、学生に授業中タイプでノートを取ったり口述させるよりも、手書きでのノート取りを促すよう推奨されています。 • 手書きは運動制御、感覚フィードバック、記憶に関連する追加領域に関与し、より複雑な神経接続をもたらします。 • タイピングはより単純な運動技能を伴うため、活性化される脳領域のネットワークが小さい。この違いが、なぜ手書きがタイピングに比べて記憶保持や学習に良いのかを、説明しているのかもしれません。 「神の言葉を心に刻む」という点において、神の言葉を覚えることは、あらゆる状況下であなたの思考や視点に影響を与える力を持っています。また、聖書について日記をつけること(手書きでもタイプでも)が、否定的な思考と戦うためのもう一つの有用な手段だと感じる人もいます。しかし、どのような方法で言葉を書き記すにせよ、聖書と向き合うたびに私たちの脳が行う驚くべき複雑なプロセスに、私たちは皆、感嘆せざるを得ません。私たちの心に御言葉を刻むための多くの方法を与えてくださったことを、神に感謝します! https://uwaterloo.ca/writing-and-communication-centre/blog/psychologically-speaking-your-brain-writing https://dev.taleafrica.com/addread/writing-as-a-motor-function-and-its-brain-mechanisms/
聖霊の変革する力
12 このような望みを抱いているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。13モーセのようなことはしません。彼は、消え去るものの最後をイスラエルの子らに見せないように、自分の顔に覆いを掛けました。14 しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。15確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。16しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。17 主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。18私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 (コリント人への手紙第二 第3章12-18節、新改訳2017) 聖書は、聖霊には人を変える力があり、信じる者をイエス・キリストのように造り変えていく、とことを強調しています。上記の箇所でパウロは、コリントの教会に対して、その変化は継続的な過程であり、霊的成長の旅であることを忘れないよう説いています。聖霊が働かれると、私たちの思いは新たにされ、やがて私たちの生活の中に御霊の実が育ってくるのです。 パウロがモーセの顔の覆いについて言及しているとき、彼は『出エジプト記』34章を引用しています。そこには、モーセが神と会った後、その顔の肌が光り輝いたことが記されています。モーセの顔は神の栄光をあまりにも力強く映し出していたため、神の臨在の映し出しからイスラエルの民を守るために、彼はその顔を覆いで覆ったのです。古い契約のもとでは、彼らの罪が心をかたくなにし、神の栄光は彼らにとって耐え難いものとなっていました。 イエスの十字架での死によって新しい契約が結ばれ、私たちの罪は赦されました。聖霊は、かつて私たちと神とを隔てていた覆いを取り除くことができます。私たちは神が誰であり、どのようなお方であるかを見いだし、その理解が私たちを神のかたちへと変え始めます。この驚くべき変革は、私たち自身の意志や自己鍛錬によるものでは決してなく、ただ内に働く聖霊の御業によるものです。 ローマ人への手紙7章で、パウロが罪との戦いについて書いたのは有名です。聖霊の臨在があり、神のかたちへと変えられ続けている最中であっても、パウロは自分が望まないことをしてしまうのです(15~20節)。キリストにあって私たちはもはや罪の奴隷ではありませんが、依然として誘惑を受けることがあり、聖霊はしばしば私たちの動機や決断を「チェック」されます。興味深いことに、これは私たちの身体の最小構成要素である細胞にも当てはまります。細胞にも「チェックポイント」があるのです! 最近の研究で、平均的な人間の体には、およそ30兆個の細胞が含まれていると推定されています。 人体には約200種類の異なる細胞があり、それぞれ大きさや重さが異なります。体の中では、ある細胞は密集しており、別の細胞はより分散しています。 細胞は常に死滅し、同時に新しい細胞が作らています。細胞の種類によって、死滅し入れ替わる速度が違っても、すべての新しい細胞は同じ過程―細胞周期―を経て産み出されます。 正常な細胞は、制御された機構で細胞周期を通過します。細胞は、自身の内部状態に関する情報や周囲の環境からの刺激により、細胞分裂を進めるかどうかを判断します。この制御のおかげで、細胞は不利な条件下では分裂しないようになっています。例えば、DNAが損傷している場合や、組織や器官により多くの細胞が入る余地がない場合、良性または悪性の腫瘍が形成されます。 細胞周期のチェックポイント チェックポイントとは、細胞周期の中で、細胞が内的および外的な刺激を調べ、細胞分裂を進めるかどうかを判断する段階のことです。 チェックポイントはいくつか存在しますが、ここでは最も重要な3つについて説明します。 G1チェックポイント、G1/S移行において G1チェックポイントでは、細胞は内的外的条件が分裂に適しているか確認します。以下の事象を細胞は見極めます。 大きさ:細胞は分裂するのに十分な大きさか? 栄養:細胞は分裂するのに十分なエネルギー備蓄または利用可能な栄養素を持っているか? 分子シグナル:細胞は隣接する細胞から正の合図(例えば増殖因子)を受け取っているか?新しい細胞を追加するのに十分な空間があるか? DNA損傷:DNAに損傷があるか? もし細胞がこれらの必要な基準を満たさなければ、細胞周期を離れてG0期(静止期)と呼ばれる休止状態に入ることもあります。いくつかの細胞は永久にG0期に留まり、その他の細胞は条件が改善すれば分裂を再開します。 2. G2チェックポイント、G2/M移行において 大きさ:適切な細胞のサイズであるか確認する。 タンパク質:細胞は十分なタンパク質の備蓄を持っているか? DNAの完全性:DNAに損傷があるか? DNA複製:S期にDNAは完全に複製されたか? もしエラーや損傷が検出された場合、細胞はこのチェックポイントで一時停止し、修復することができます。チェックポイントの仕組により、DNAの問題が発見された場合、細胞周期は停止し、細胞はDNA複製を完了させるか、損傷したDNAを修復しようとするのです。 損傷が修復不可能である場合、細胞はアポトーシス、すなわちプログラムされた細胞死を起こすこともあります。この自己破壊の仕組みは、損傷したDNAが娘細胞に受け渡されないようにし、それががんを防ぐのに重要となります。 3. Mチェックポイント/紡錘体チェックポイント、中期/後期移行において 付着:染色体は紡錘糸に正しく付着しているか? この時点で誤りがあると、複製された染色体が2つの新しい娘細胞の間で不均等に分配され、お互いに、そして親細胞にも同一ではなくなる。 細胞のように微小なものの中に、自己監視する力を神が埋め込まれたというのは、驚くべきことではないでしょうか。神は平和と秩序の神であり、創造物のすべてはその御心を反映しているのです。私たちは不完全なままですが、神は私たちに御霊を送り続け、「チェックし」、監督し、導いてくださるのです。私たちは自分自身の力では何ひとつ成し遂げることができないですが、「私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します!」(ローマ人への手紙7章25節)。 ID 308144315 © Kpzoobot | Dreamstime.com
心を探して
23 神よ、私を探り 私の心を知ってください 私を調べ 私の思い煩いを知ってください。 24私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139章23-24節、新改訳2017) この聖句はダビデの祈りであり、ダビデは神に自分の心を調べ、隠れた罪や間違った道を明らかにするよう求めている。 詩篇の最後にて、ダビデは人間の肉体の複雑さと神の霊からは逃れられないことに驚嘆している。神は私たちがいつ座り、いつ起きるか(2節)、私たちの考え(2節)、そして言葉にならない言葉(4節)さえも知っておられる。私たちが深みに降りたと感じても、天に座っていると感じても(8節)、神の御臨在はそこにある。私たちのことをこれほど詳しく知っておられる神を怖いと感じたり、警戒したりする人もいるかもしれないが、ダビデは神の変わらぬ寄り添いと、私たちの造りに対する深い理解を喜んでいるようだ。23節と24節を読むと、これらの節は、私たちを丁寧に創造し、あらゆる面で私たちを世話したいと切に願っておられる愛に満ちた神、その神からの導きと清めを求めるダビデの謙虚な願いに思えるのだ。ダビデはすでに1節から16節までで、神はすでに自分のすべてを知っておられると宣言している。それゆえこれらの節は信頼の表明であり、ダビデは、自分が胎内に宿る前からすでに始まっていた探求を、神に続けてもらうよう招いているのだ。 ダビデの時代には、「心」を探求するとは、内面的な思いや感情を理解しようと追求するーもっと言えば魂の探求である。ところが、今日において、医師は常に患者の「心」臓を調べている。 カテーテル検査は、動脈の詰まりや不整脈等、特定の心臓や血管の問題の検査や治療である。それはカテーテルと呼ばれる細くて中が空洞のチューブを使う。このチューブは血管を通って心臓まで導かれる心臓カテーテル検査で、心筋や心臓の弁、心臓内の血管について重要で詳細な情報が分かる。 処置中に、医師は心臓内の圧を測ったり、狭まったり詰まった動脈を拡げるといった治療を施すことができる。時には、検査のために心臓の組織の一部を採取することもある。 患者の心臓に冠動脈の狭窄が起こっている場合、医師は血管形成術を行う。冠動脈形成術とは、心臓の詰まった血管を開く処置である。冠動脈形成術は心筋へ血液を運ぶ冠動脈と呼ばれる血管を治療する。カテーテルという小さな風船付きの細いチューブが使われ、詰まった動脈を拡げ、血流を改善する。 血管形成術の後には、ステントと呼ばれる小さい金属のメッシュ状のチューブが留置されることが多い。ステントは動脈を開いた状態で保ち、再び動脈が狭くなっていく可能性を減らす。ほとんどのステントは薬品でコーティングされており、動脈を開いたまま保つことに役立つ。 血管形成術とステント留置は、心筋への血流を改善するために計画的に行われる場合がある。この処置は心筋梗塞の緊急治療としてなされることもある。 血管形成術後、医師は患者と会って結果について話し合う。医師は狭窄部分と問題部分を治療するのに使われた方法、これ以降の合併症を防ぐために患者が気を付けることについて説明する。 心臓はいわゆる神秘的な臓器であり、通常は問題ないように思われる―そうでなくなるまでは。心臓はいつもどおり将来も動き続けるのが当然と思っていて、狭窄は自分ではわからないので、医師に調べ始めてもらうのには、私たちからお願いしなくてはならない。 私たちの多くは、私たちの心臓(魂)は同じように神秘的なものである。内面で何か変だと感じるとき、原因を探ったり解決策を求めることをせずに、痛みを無視したり、覆ったり、あるいは感じないようにしたりする。 恐れ、不安、落ち込み、あるいは何かほかの霊的な障害があなたを押しつぶそうとしていると感じるとき、ダビデの単純な願いを真似してみることをお勧めする。感謝を持って心に留めておくことは、いかに神が「畏れられるほどに、また驚くべきほどに」(14節)あなたを創造してくれたこと、そして、あなたが神を遠くにまたは近くに感じても、神はあなたと共にいることである。(7-12節) あなたの奥深くにある霊的な心を見てもらうよう神にお願いしよう。そしてあなたの苦難を愛でもって助けてくださることを信じるのだ。文字通りの心臓と比喩的な心の内部の働きは不可思議なものかもしれないが、主には謎などないのだ。 1 主よ あなたは私を探り 知っておられます。 2 あなたは 私の座るのもたつのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。 3 あなたは私が歩くのも伏すのも見守り 私の道のすべてを知り抜いておられます 4 ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ あなたはそのすべてを知っておられます。 5 あなたは前からうしろから私を取り囲み 御手を私の上に置かれました。 6 そのような知識は私にとって あまりにも不思議 あまりにも高くて 及びもつきません (詩篇139章1-6節 新改訳2017) ID 29028070 © Alila07 | Dreamstime.com ID 104660465 © Designua | Dreamstime.com https://www.mayoclinic.org/tests-procedures/coronary-angioplasty/about/pac-20384761
次世代の人々へ
創世記 17章7節 7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。(新改訳2017) 主はアブラハムとその子孫との間に、契約を交わされた。主は彼らの神であり、彼らの子孫の神であると約束され、世代を超えた祝福と主の約束は永遠に続くものであることを意味する。 詩篇119章90節 90 あなたの真実は代々に至ります。 あなたが地を据えられたので 地は堅く立っています。(新改訳2017) 主の誠実さは、すぐに消えてしまうようなものではなく、時代や世代を超えて続く一貫した永続的なものである。 神の誠実さは、ある時代、ある集団に限定されるものではなく、歴史を通して不変のものなのだ。 詩篇100章5節 5 主はいつくしみ深く その恵はとこしえまで その真実は代々に至る。(新改訳2017) 主の愛と誠実さは結びついている。その愛は永遠に耐え忍び、誠実さは代々にわたって続く。 詩篇103章17節 17しかし 主の恵みは とこしえからとこしえまで 主を恐れる者の上にあり 主の義は その子らの子たちに及ぶ (新改訳2017) 主の愛と義は、主の意につき従う未来の世代にまで及ぶ。 前の詩篇と同様、この詩篇も主の誠実さが長く続くことを強調している。 神の愛と誠実さは、私たちの現実をはるかに超えて、私たちが出会うことのない世代の家族にまで及んでいることを思うと、心が安らぐものだ。しかし、私たちの子孫は神の祝福を受け継ぐだけでなく、私たちの身体的特徴も引き継ぐ。 私の2人の娘を見てみると、肌の色、髪の色、身長は正反対だ。 しかし、それぞれが私の家系と父親の家系から受け継いだDNAの確かな遺伝配列を持っている。 科学の世界では、遺伝学者が世代図や血統図を用いて、家系内に発生している疾患をつきとめ、次世代においてそれに罹る可能性を予測しようとする。 嚢胞性線維症(CF)は、遺伝で継承される疾患で、肺、消化器系、その他の臓器に損傷を与える。 嚢胞性線維症(CF)は、粘液、汗、消化液を作る細胞に悪影響を与える。 分泌液とも呼ばれるこれらの液体は、通常、体内の管や導管を保護しスムーズな経路を作るために、希薄で滑りやすい。 しかしCF患者では、遺伝子の変異により、分泌液が粘着性を持ち濃くなる。 特に肺や膵臓では、分泌物が管を詰まらせてしまう。 CFは、時間の経過とともに悪化し、日常的なケアが必要となるが、CF患者は、通常、学校や仕事に行くことはできる。 また、数十年前に比べ、生活の質も向上している。 米国では、新生児スクリーニングのおかげで、生後1ヶ月以内、症状が出る前に嚢胞性線維症と診断されることがある。 しかし、新生児スクリーニングが可能になる前に生まれた人々は、CFの症状が現れるまで診断されなかったかもしれない。 検査と治療の向上で、現在ではCF患者は50代半ばから後半まで、あるいはそれ以上生きられる可能性があり、人生の後半に診断される患者よりも生活の質を保っている。 嚢胞性線維症(CF)は常染色体劣性遺伝の疾患である。 CFの遺伝子は7番染色体にある。 もし7番染色体の両方に遺伝子欠陥があれば、それにより病気に罹患することになる。 7番染色体の片方のみの場合は、罹患しない。 彼らは疾患の保因者であり、次世代に引き継がれる可能性がある。 上の家系図は、嚢胞性線維症(CF)が3世代にわたって継承されることを示している。 第I世代の両親とも嚢胞性線維症の保因者である。 この場合、二人の間の子は25%の確率で嚢胞性線維症疾患を受け継ぐ。その両親は第II世代となる3人の子供をもうけた。最初の子供は女の子で、7番染色体のどちらにもCF遺伝子を持たなかった。 彼女は、同じくCF遺伝子を持たない男性と結婚した。 そのため、第III世代となる彼らの3人の子供たちは、7番染色体にCF遺伝子を持っていない。 第I世代両親の二番目の子どもは男の子だった。この子は7番染色体の両方にCF遺伝子を受け継いだので、CFに罹患した。彼は結婚しなかった。 三番目の子供は娘で、CFの保因者だった。彼女は同じくCFの保因者と結婚した。彼らは第III世代となる四人の子供をもうけた。最初の子供は男の子で、7番染色体の両方にCF遺伝子を受け継いだ。それにより、CFに罹患した。二番目の子供は娘で、CF遺伝子をどちらの親からも受け継がなかった。三番目の子は男の子で同じくどちらの親からもCF遺伝子を受け継がなかった。最後の四番目の子は女の子で、CF遺伝子を7番染色体両方に受け継いだ。よって、疾患に罹患した。 この家系図により、遺伝カウンセラーはIII世代の子らに、CFに罹患した子供が生まれる確率についてアドバイスできる。嚢胞性線維症は男女どちらにも遺伝することが分かると思う。そしてこの疾患は劣性遺伝なので、世代を一つとばすことがよくある。 継承した遺伝子、受け渡した遺伝子はどうすることもできないことに苛立ちを感じることもあるだろうが、私たちには、周囲の人々にどのような精神性や特性を示すかということに関しては選択肢が残されている。 受動的に受け継ぐDNAとは異なり、私たちが他人に影響を与える価値基準は、能動的かつ自発的な判断によるものだからだ。 箴言22章6節 6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。 そうすれば、年老いても、それから離れない。(新改訳2017) 詩篇145章1-7節 ダビデの賛歌。 1… Continue reading 次世代の人々へ
言葉の力
29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。(エペソ人への手紙 4章29節 新改訳2017) この言葉は、使徒パウロがエペソの信徒たちに語ったものである。 賜物として与えられた主の恵みを体現する生き方をするように勧め、救われる前の''古い自分''から離れるように、と信者たちに忠告している。さて、「新しい自分」の語ることばは、この3つの重要な目的において使われるべきである: 私たちの言葉は、他の人々が自分の人生に対する主の御意思に値するよう、歩調を合わせて歩むことができるよう、彼らを建て上げ、力づけるために役立つものでなければならない。 私たちの言葉は、励ましの言葉を必要としている人であれ、愛をもって語られる主の真理を必要としている人であれ、その人の必要なものを満たすものでなければならない。 私たちの言葉は有益であるべきで、つまり、聞く人の人生に付加価値を与えるものでなければならない。 話し方の変化には、一連の過程がある。外国語を話せるようになったことがあるだろうか? 脳卒中で話せなくなった人が、ゆっくりと回復していくのを見たことがあるだろうか。これらの例は、新しい話し方を会得するのに一朝一夕にはいかないことを示している。 どちらの場合でも、新しい言葉を何度も聞き、話し、時には読むことが非常に重要だった。 私の祈りの実践のひとつは、『You Version Bible』アプリで毎日祈りの言葉を読んだり聞いたりすることだ。 実際、今月の文章を書くために、このアプリのお祈りの言葉のひとつを用いた。 前向きな言葉を話すよう、ポジティブな思考に意識を向けるのに役立つ聖句をいくつか紹介しよう: ペテロの手紙第一2章9節 “しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それはあなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。”(新改訳2017) コリント人への手紙第二 10章5節 “私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。”(新改訳2017) ピリピ人への手紙 4章8節 “最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か得とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。(新改訳2017) ローマ人への手紙 12章2節 “この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。“(新改訳2017) 詩篇 139章14節 “私は感謝します。あなたは私に奇(くす)しいことをなさって 恐ろしいほどです。 私のたましいは それをよく知っています。” (新改訳2017) 主があなたを創造されたとき、彼は脳を特定の用途を持った領域にそれぞれ分け、それが連携して働きながらあなた自身を作っている。言語と発話の習得に機能する主な脳の構造を見てみよう。 ・運動性言語中枢は、発語量と発音の仕方に関係している。 ・ウエルニッケ領域は、言語理解において重要な役割を担っている。 ・一次運動野は、視覚情報の処理する領域である ・一次聴覚皮質は、基本的な音の情報である、音の高低、周波数、音圧を受け取り、処理する領域である。 これら四つの領域が互いに近くにあることに注目しよう。 主が脳をさまざまな領域同士で連携して働くように創造されたように、私はあなたが信者同士の集団の一員となることを強く勧める。 栄養価の高い食べ物が肉体に命を与えるように、癒し助ける健全な言葉は魂に生命を与える。だから私は今日あなたにやってみてほしいことがある。あなたが愛し、尽くしている人たちへ、役に立ち、必要で有益な言葉をどのように語ることができるかを考えてほしい。 最後に、もしあなたが批判の言葉によって傷ついたことがあるのなら、その言葉を発した人を赦すことができるよう、今日神に助けを求めてほしい。可能であれば、あなたが愛をもってその人に語りかけることができるよう、そして神の御心であるならば、その人と和解することができるよう、神に助けを請うのだ。 私が高校4年生のとき、進路指導のカウンセラーにこう言われた。"ペギー、大学に行きたければ挑戦してもいいが、この低いSATの点数では、君はうまくいかないだろう"。 両親に支えられながら、私は教師になりたくて大学に入学した。 高校のカウンセラーの否定的な言葉も許すことができた。大学は私にとって大変だったが、神の助けと素晴らしいクリスチャンの教授たちのおかげで、教師としてのキャリアを成功させることができた。主は、進路指導カウンセラーの否定的な言葉を切り替えるよう、私を助けてくれ、大学、専門学校、軍隊、あるいは労働力としての自分の将来に不安を抱いていた生徒たちを励ます時、それを用いるようにされた。あなたの人生に主がご計画されていることが何であれ、主はそれを可能にしてくれるのだ。 もしかしたら、あなたは自分自身に否定的なことを口にする人かもしれない。 あるいは、過去に起こったことに対して自分をいまだ赦していないかもしれない―たとえ主があなたをすでに赦してくださっていると知っていても、だ。あなたはこの重荷から自由になることが出来る。上記の聖句と、追加した2つの聖句の真理をもとめよう。あなたは赦されないという縛りの中で生きるために創造されたのではない。 コリント人への手紙 第二 5章17節 “ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。” ローマ人への手紙 8章1-2節 “こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。(新改訳2017) ID 46722990 | Brain Wernicke Broca © Designua | Dreamstime.com https://www.youversion.com/the-bible-app/ May 15, 2025
天国の息吹
一度だけささげられたイエス 10 1 律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。2 それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。 3ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。4 雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。5ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。 「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、 わたしに、からだを備えてくださいました。 6 全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を あなたは、お喜びになりませんでした。 7 そのとき、わたしは申しました。 『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。 神よ、あなたのみこころを行うために。』」 8 以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、9それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。10 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(ヘブル人への手紙 第10章1-10節、新改訳2017) イースターの3日前の聖金曜日は、イエス・キリストの十字架刑と死を記念して祝われる。 上記の聖句の中で、ヘブル人への手紙の著者は、2000年以上前にイエスが苦しみ死なれた理由を説明している。 旧約の下で、神はご自分の民に罪から清められる方法を与えておられた。 しかし、この犠牲のシステムは一時的なものであって、神がひとり子イエスを差し出して、私たちのために一度きりの犠牲を払ってくださるまでの間だった。 16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書第3章16-17節、新改訳2017) ヨハネの福音書3章16節にある言葉「神は御子をお与えになった」は、御子がどのように捧げられたのかを深く考えずとも、たやすく読める。 イースターはきれいな祝日だ。きれいな花、きれいなドレス、きれいなジェリービーンズ。 そうあるべきだ。 イースターは復活を祝うものであり、私たちのために死んでくださった方が今も生きておられることを確認するものだ。 赦しの奇跡と永遠の命の約束は美しい。 しかし、聖金曜日の犠牲はきれいなものだったとは言い難い。十字架刑による死は、設計上、長時間にわたるものだった。 結局、十字架刑の人は、呼吸がうまくできずに窒息死する。 伸ばした腕と胸で支える体の重さが肺の拡張を制限し、息を吐くのを難しくした。 十字架上の人たちは、何とか呼吸しようと足で体を押し上げようとしたため、当直の兵士たちは、イエスと一緒に十字架に貼り付けになった二人の男の足を折ってしまった。 彼らの死に時間がかかりすぎたのだ。 呼吸は胸部と腹部の筋肉によって自発的になされ、横隔膜が呼吸に使われる主な筋肉である。 横隔膜は肺の下にあるドーム状の筋肉で、胸腔と腹腔を隔てている。 息を吸うとき、横隔膜は収縮して下方に移動する。 これにより胸腔内の空間が広がり、空気が流れ込んで肺が拡張する。 息を吐くと、横隔膜は弛緩し、ドーム状に戻る。 肺から空気が抜けると、肺は勝手にしぼむが、これは伸縮性のある風船が開放されたまだとしぼむのと同じである。 聖金曜日はきれいな光景だったとはいえないが、犠牲の子羊としてのイエスは必要であった。イエスが十字架上で息を引き取られたので、私たちが聖霊によって魂に新しい命が吹き込まれたのかもしれない。 イエスは天に昇られる前に、弟子たちに次のように語られた。 44 そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」 45 それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、 46 こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』 エルサレムから開始して、 48 あなたがたは、これらのことの証人となります。49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなた方に送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 (ルカの福音書第24章44―49節 新改訳2017) このイエスから弟子たちへの最後のメッセージは、あなたとわたしに向けたものでもある。聖霊の力により福音を広め、壊れた世の中に希望をもたらすのだ。息をするたびに、私たちは主を高く上げ、褒めたたえる機会を得ているのである。 ID 349997393 | Diaphragm Breathing © Designua | Dreamstime.com
祝福された繋がり
ヤコブ、主と格闘する 22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。 23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。24ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」 ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」 27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」 彼は言った。「ヤコブです。」 28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」 29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」 すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。 30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。 31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。(創世記 第32章22節-32節 新改訳2017) ヤコブは、ユダヤ教とキリスト教において、イスラエル民族の祖先と考えられている。 ヤコブの生涯は、葛藤、欺瞞、赦し、神の誠実さの例とされている。 イサクとリベカの間に生まれた双子の弟ヤコブは、策略家だった。 まず、兄エサウを騙して、シチュー一杯と引き換えに兄の生得権を譲らせた。 そして、盲目の父イサクを騙して、エサウに与えられるはずだった祝福を自分がもらうようにした。 父からの祝福を失ったことを知ったエサウは激怒し、ヤコブを殺すと脅した。 そこでヤコブは、ハランにある叔父ラバンの家に逃げ込んだ。 ヤコブは愛するラケルを手に入れるために、ラバンのもとで7年間働いたが、叔父ラバンも策略家であることを彼は知らなかった! ラバンはヤコブを騙して、ラケルの姉レアと最初に結婚させた。彼はもう7年間働くまで、ラケルを妻として迎えることはなかった。 ヤコブは、レア、ラケル、そして彼女たちの侍女らを通じて12人の息子と1人の娘をもうけ、息子たちはイスラエルの12部族の祖となった。 上記の聖句は、ヤコブがカナンへ帰るときに起こったことを描写している。 ヤコブの欺瞞に満ちた行為の後にもかかわらず、神はヤコブをイスラエルと改名された。「神と戦う者」という意味である。 ヤコブが神と格闘した直後、彼は兄エサウと和解し、20年前に祝福を盗んだヤコブを許した。 ヤコブは神とつながり、それが兄エサウとのつながりを修復するきっかけとなった。 ヤコブの12人の息子たちは、ヤコブと後に神に祝福されたイスラエルの民とを結びつけた。 股関節を含むさまざまな関節を調べると、私たちのさまざまな体の部位をつなげて、互いに動かすことを、いかに主が創造されたのかが明らかになる。 股関節は、大腿骨の丸いあたまの部分(大腿骨頭)が骨盤と結合する部分である。 関節は組織で覆われ、大きな筋肉によって動かされる。 以下のすべての部位が健康であれば、股関節は容易に動く。 ・軟骨は滑らかな組織の層であり、大腿骨頭と骨盤の窪み部分(寛骨臼)を覆っている。健康な軟骨は圧力を吸収し、大腿骨頭が寛骨臼内で滑らかに動きやすくなる。 - 筋肉は股関節と脚を動かすための動力源である。 - 腱は筋肉を骨に付着させている。 股関節は、肩関節とともに球関節に分類される。球関節は、自由な動きができる6種類の関節の中で最も広い範囲で動かせる。それらの動きには、後方、前方、側方、回転などがある。 バレリーナや体操選手を見たことがある人なら、3面3軸の動きを観察したことがあるだろう。 椎骨(脊椎の骨)と手首や足首の骨の間にある滑走関節も、3面3軸の動きをすることができるが、その動きは非常に制限されている。 手首は顆型関節である。 この関節は、2面2軸で2番目に大きな可動域を持つ。 鞍関節も2面2軸の動きを可能にする。この関節は親指にあり、親指で他の指に触れることができ、物をつかんだり、操作したりするのに必要不可欠である。あとの2種類は、1面1軸で動くことができる。 車軸関節は、上から2つの頸椎、環椎(第一頸椎)と軸椎(第二頸椎)に位置している。 この関節により、頭部は前後左右に動くことができる。 車軸関節は肘の近くと手首の近くにもあり、前腕と手首の回転運動を可能にする。 肘、膝、足首は蝶番関節の例を示す。 これらは曲げ伸ばしの動きしかできない。 上の図を見ると、神が骨の形を形成しただけでなく、正確に身体を動かせる能力を骨にお与えになられたのが良くわかる。主は骨と骨をつなぐ靭帯、骨と筋肉をつなぐ腱を創造された。 イエス以外の聖書に登場するすべての人と同じように、ヤコブは堕落し、壊れ、信じられないほど人間的な性質の持ち主だった。 彼の人格は私たちと同じように欠陥があったが、それでも彼は主を求めた。 神との闘いの中で、彼は平安と赦しと祝福を見出した。 傷ついた時には、私たちはヤコブとつながっており、そして、常に主とつながっている。 私たちが神と神の赦しを求めるとき、神は私たちが互いにつながり、祝福し合えるようにしてくださる。 私たちは新しく造られた者となり、キリストの大使となるのだ。(コリント人への手紙第二5章17、20節)このようなつながりを神に褒めたたえよう!… Continue reading 祝福された繋がり
心を守れ
23 何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれから湧く。(箴言第4章23節 新改訳2017) 世の中の雑念から心を守るにはどうしたらいいのだろう? 先週の日曜日、私の牧師は次のような言葉で教会に集った人々を励ました。 神とあなたの人生に対する神の御心に完全に心を開くのです。 神の御言葉の中で時間を費やすことで、神のことと、あなたの人生に対する神の御心を知りなさい。 祈り、礼拝、そして個人的な思考に時間を費やしなさい。聖霊に語りかけてもら いなさい。 神に関しての知識や神とあなたの関係を映したレンズを通して、一瞬一瞬を 目的を持って生きるのです。そうすることで神に求められていることがわかります。 他の信者たちと一緒に過ごしましょう。 共同体の中で、あなたは信仰において成 長し、自分の信仰を他の人に伝える機会を得るのだ。 世の中の雑念から心を守るにはどうしたらいいのだろう? 先週の日曜日、私の牧師は次のような言葉で教会に集った人々を励ました。 神とあなたの人生に対する神の御心に完全に心を開くのです。 神の御言葉の中で時間を費やすことで、神のことと、あなたの人生に対する神の御心を知りなさい。 祈り、礼拝、そして個人的な思考に時間を費やしなさい。聖霊に語りかけてもら いなさい。 神に関しての知識や神とあなたの関係を映したレンズを通して、一瞬一瞬を 目的を持って生きるのです。そうすることで神に求められていることがわかります。 他の信者たちと一緒に過ごしましょう。 共同体の中で、あなたは信仰において成 長し、自分の信仰を他の人に伝える機会を得るのだ。 上の図では、心臓の位置が分かりやすいように、肋骨が分かれている。体の骨格系の3つの重要な構造が心臓を守っている。椎骨、胸骨、そして上から7対の肋骨だ。 これらの肋骨は、椎骨と胸骨に連結しているため、真肋に分類される。 心臓は心膜という3層の袋状の組織で包まれており、外的外傷や感染から心臓を守っている。 線維性心膜は最も外側の丈夫な層である。 線維性心膜は横隔膜と胸骨に結合していて、心臓の過度の動きや伸展を防ぐことで安定させている。 心外膜は心膜の最も内側の層であり、心臓の中間の筋肉層である心筋に隣接している。 心膜腔は心外膜と心膜の間にあり、すべりを良くする心のう液で満たされており、心臓収縮時の摩擦を軽減する。 心臓の細部にわたる複雑さに思いを巡らせると、一見些細に見える細部に至るまで、神がすべてを完璧に機能するように造り上げておられることを改めて実感するのだ。それは、鼓動する心臓をスムーズに機能させるための特殊な液体にまで至る。私たちの心臓は、平穏で穏やかなときも、危険で不安なときも、あらゆる状況で鼓動するように設計されている。 神が私たちの心臓を骨と組織で守ってくださっているように、すべての経験において、神が私たちのための計画を遂行し、神の庇護にあることを信じてほしい―それが神が私たちにぜひとも覚えていて欲しいことなのだ。主はあなたの心臓と心の両方を預かっておられ、主に助けを求めるとき、私たちが両方を守るのを助けてくださるのだ。 6何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いキリスト・イエスにあて守ってくれます。(ピリピ人への手紙 第四章第6節―7節、新改訳2017) 5心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りに頼るな。 6あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。 主があなたの進む道をまっすぐにされる。 (箴言 第三章5節-6節、新改訳2017) Winter, Dwight. Be On Your Guard, Wilmore Free Methodist Church, Wilmore, KY. Feb.… Continue reading 心を守れ