BLOG October 2020 「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。」(詩編139:13新改訳2017,2018) この聖句を読んだ時、高校教師をしていたときに、一般生物学ではなく人体解剖学及び生理学を教えるよう依頼されたことを思い出した。生物学の一般的な知識から、人体に関してより具体的に詳細なものへと、自分の教授方法を変えなくてはならないと思ったが、この挑戦を引き受けることにした。最初の難題は、内臓を形成する組織を学ぶ組織学だった。骨についている筋肉によって、身体の動作が可能になるということを教えればいいだけではなく、骨格筋組織の構造がどのように動作を可能にするのかを教えることになる。人体の内側の組織を教えるために、私も知識を掘り下げる必要があった。まず様々な組織のプレパラートを顕微鏡で調べることを始めた。箱から骨格筋組織のプレパラートを取り出し、顕微鏡のステージの上に置き、低倍率に合わせた。そして少し倍率を上げ、さらに高倍率にした。その骨格筋を内部に向かって見ていくうちに、私は魅了されてしまった!さまざまな種類の組織のスライドを調べ続けて、それらのスライドから、各臓器がどのように働くのかを解き明かす、構造的パターンを発見したのだ。 なぜ骨格筋組織は、ロープに似た繊維の束のように見えるのだろう?筋肉は、腱で骨とくっついている。筋肉の伸縮が骨の動きにつながり、特定の動きをすることが出来るのだ。例えば、リンゴを噛むとき、筋肉は下顎を動かして、口を開けたり閉めたりする。あなたの顎にロープがくっついていて、そのロープが上下に動くと、顎が同じ動きをするのが思い浮かぶであろうか? なぜ、血液組織の40%を構成する赤血球が、柔軟性のある卵型の円盤のような形をしているのだろう?赤血球細胞には、ヘモグロビンのためのスペースを最大にするために、核がない。赤血球はヘモグロビンの袋であり、酸素を運搬し身体のすみずみの組織に届ける。柔軟性があるために、血液は動脈や毛細血管床を通って移動することができる。もし、赤血球が長方形をしていて、硬かったらどうだろう? なぜ緻密質(骨の表面を構成する組織)は、同心円状に配置されているのだろう?この並び方は、緻密質の組織を高密度にし、骨を保護し強度をあたえる。もしあなたの骨が一層、二層だけの骨組織により構成されていたとしたら、あなたの生活はどう違っただろうか?自然の中で、どこにこの同じパターンを見ることができるだろう?木の年輪? Tree limbsという言葉は、「大きな木の枝」という意味で、人体の「腕と脚」は、limbs(四肢)である。 そして最後に、なぜ神経組織は、神経細胞の塊のようなクモの巣状のもので構成され、長く繊維状に伸びて互いに接続されているのだろう? 神経組織は脳との間で情報をやり取りしている。神経細胞から情報を伝達する繊維は、軸索と言う。一番長い軸索は人体のどこにあるのだろう?坐骨神経の神経細胞の中にあり、それは、脊髄の基部からそれぞれの足の親指まで伸びている。 これらは人間の身体を形成する、多くの種類の組織のうちのわずか四つにすぎない。30兆個を超える細胞が互いに組み込まれて組織を形成し、組織が臓器を形成し、臓器が臓器系を形成し、最終的にはあなたになる。その創造的なパターンの不思議さを、感じてもらえるよう願う。 「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」 「私は感謝します。あなたは私に奇(くす)しいことをなさって 恐ろしいほどです。私のたましいは それをよく知っています。」(詩編139:13-14新改訳2017,2018)
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手を伸ばせばそこに
September 2020 Blog 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。 (マルコ5:28新改訳2017,2018) イエスが湖畔に来ると、大勢の人が周りに集まった。その群衆の中に、その地域の会堂の重要なリーダーであるヤイロがいた。ヤイロはイエスの足元にひれ伏し、家まで来て彼の娘を癒して欲しいと懇願した。そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。(マルコ5:24-25新改訳2017,2018)彼女は、治療を探し多くの医者にかかり、持っている物全てを使い果たしていた。ところが良くなることはなく、むしろ悪くなっていた。身体はボロボロになり、周りから疎外されていた。ユダヤ人の考えでは、彼女は汚れていたのである。彼女は群衆の中にいて、気づかれるのを恐れていた。しかし、愛されない人はいない、とイエスが言っているのを聞き、イエスを信じることをにした。そして、「もしあの方の衣にでも触れれば、私は救われる」(マルコ5:28新改訳2017,2018)といいながら群衆の中を進んで行った。すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒されたことを体に感じた。(マルコ5:29新改訳2017,2018)イエスもまた、彼女が自分に触れたのを感じた。自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、誰が触れたのか、と周囲に聞いた。彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのだ。安心していきなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(マルコ5:33-34新改訳2017,2018) 指先は身体の最も敏感な部分の一つだと知っていましたか?神があなたを創造された時、身体のどこにでも触覚受容体を配置したわけではないのです。神は、もっとも必要となる場所に集中的に置かれたのです。各指先には3000個以上の触覚受容体があり、毎秒76mもの速度で脳に信号を送っています!どのように触覚受容体は、ひどい火傷を負うことから、あなたを守っているか考えてみましょう。高温の炎に触れた瞬間、考える間もなく、あなたは火から手を離します。マッサージ師は触覚受容体を用いて、どの箇所にどれぐらいの圧力が必要かを手先で見極めます。親は泣いている赤ちゃんをなだめるために、心地良いタッチで撫でます。目が不自由な人は、杖が触れた感覚を頼りに、慣れない場所ではそこの輪郭を思い描き、障害物を避けるのです。また触覚受容体は、彼らが点字を読んだり、人の顔や物体を認識するのにも役立つのです。 もう望みは絶たれた、と感じたことはありますか?何年も助けを探し求めたのに、無駄に終わったことは?身体は疲れ果て、社会から疎外され、愛されていないと感じたことは?このお話の冒頭を思い出してください。イエスはどこに行こうとしていましたか?ヤイロの家、その地域で要職についている人でした。なぜイエスはそこに向かったのでしょう?ヤイロの娘を癒すためでした。その途中、イエスは時間をとって立ち止まり、彼に手を伸ばした女性を受け入れましたか?そうです!イエスは彼女と言葉を交わし、癒したのです。彼女のように、イエスの眼には愛されない人などいない、と信じましょう。イエスに手を伸ばし、癒されてください。手を伸ばせばそこにいらっしゃるのです!
神様はしっかりと掴んでいてくださる
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い物よ、なぜ疑ったのか。」(マタイ14:31新改訳2017, 2018) イエスは、ガラリア湖の湖畔にて5000人に食事を与えられた後、弟子たちに、先に船に乗って向う岸までいくように言われました。イエスは人々を家に帰され、祈るために独り丘に登られました。 その夜、弟子たちの乗った船は、陸地からまだかなり遠くにありました。強い風がおこり、彼らは荒れ狂う波にてこずっていました。ところが、イエスは水の上を歩いて、彼らのもとへやってきました。弟子たちは幽霊が出たと思い、怖がりました。すぐにイエスは彼らに話しかけました。「怖がることはない。しっかりしろ。私だ。」 ペテロは船を降り、イエスに向かって水の上を歩きだしました。しかし、風と波を見て恐怖を覚えました。だんだんと沈み始めたペテロは叫びました。「主よ、助けてください!」イエスはすぐに手を伸ばし、ペテロをつかむと、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか?」とおっしゃいました。 しっかりつかまれている、と安心したことはありますか? ペテロのように、誰かがあなたをつかみ、安全なところへ引っ張り上げてくれたことはありますか?階段から落ちそうになって手すりを思わずつかんだり、あるいは、ぬかるんだ道で滑ってしまわないように、木の枝に手を伸ばしたりしたことはありますか?つかむという行為は、親指があるために可能となります。ためしに、利き手の親指と人差し指を輪ゴムで結び付けてください。アイスクリームを掬い出してみたり、野球のボールを投げてみたり、携帯電話に二本の親指でテキストを打ってみたりしてください。親指はその他の指とは違います。親指以外の指は、二つの関節と三つの指骨があります。親指は、一つの蝶番と二つの指骨しかないのです。しかし、もっと大切な違いは、親指は他の指と向い合せにできるのです。同じ手の他の指と簡単に合わさることができるため、物をつかめます。しかし、神様の設計による、他の指と向い合せになるという親指の機能は、ただ物をつかむというよりも、もっと大切な働きを担っているのです。 ペテロのように、神様を疑っていますか?神様は遠くにいて、あなたのことなど気にしていないと思ったりしていませんか?あなたの状況に、どうやら神様は働きかけてくださっていると思いながらも、周りの環境により、疑念が生まれてしまうことはありませんか?恐れないでください。勇気を持ってください。神様はここにおられます。あなたの手は、神様につかまることが出来るように創造されているのです。 あなたを離さず掴んでいてくださる神様の御手に留まり、信じてください!
あなたの眼の中のリンゴ(その1)
あなたの眼のリンゴのように私を守り(詩編17:8 NIV和訳) *新改訳では、「瞳のように私を守り」(詩編17:8新改訳2017, 2018)と訳されていますが、NIVでは、Keep me as the apple of your eye; 訳「あなたの眼のリンゴのように私を守り」となっています。 私は最近、ある日曜日の聖書勉強会で、この表現に出会いました。そこで思ったのは、ダビデはなぜ、神様の眼の“リンゴ”のように…と願うのか、ということでした。 そしてさらに、そもそも眼のどの部分がリンゴなのでしょうか? 好奇心を抑えることが出来ず調べた結果、“眼のリンゴ”とは、瞳孔のことを指すということがわかりました。古代において、瞳孔は、リンゴのように丸い固体であると信じられていたのです。 現代では、瞳孔が固体ではなく、眼球の色のついている部分、虹彩の中心にある孔であることがわかっています。虹彩の筋肉は大きさや形を変えながら、瞳孔を通る光の量を調節しています。視覚にとって光はなくてはならないものであり、瞳孔はとても大切であると考えられていました。 なので、ダビデが「あなたの眼のリンゴのように私を守り」(詩編17:8 NIV和訳)、と神様に願ったのは、神様の満ち溢れた愛の対象である、慈しまれた子供として自分を見てほしいという思いだったのです。 友人の目をよく覗き込んだ時、まるで鏡のように、あなたの小さな姿が映っていることに気づいたことはありますか?ヘブライ語で、“眼のりんご”とは、「眼の中の“小さい人”」と訳されます。--愛しさにあふれた呼びかけの言葉ですね。 同じ事が私たちと神様との関係においても言えます。あなたの友人の目の中に、小さくあなたが映っているのが見えるように、神様は、あなたを見るときに、ご自身の姿が小さく映っているのをご覧になっているのです。あなたは神様の姿に似せて創造されたということを知っていますか?あなたは神様の慈しまれた子供であり、大切な宝なのです。あなたは神様の眼の中のリンゴなのです!
あなたの眼の中のリンゴ(その2)
主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼をみつけ、これを抱き、世話をし、 ご自分の瞳のように守られた(申命記32:10新改訳2017,2018) この節では、“彼”とは、エジプトを脱出し、約束の地カナンへ向かっていたイスラエルの民のことを指します。その旅の間、イスラエルの民は40年間シナイ砂漠の荒野をさまよい歩いたのです。 この時期、神様は彼らを見つけてくださいましたが、それはたまたまではなく、自らのご意志により、そうされていました。 昼は雲の柱で、夜は火の柱で、彼らに道を示されました。そうすることで、彼らは昼も夜も進んで行けたからです。(出エジプト記13:21) また、石の板2枚に書かれた律法を授けられました。(出エジプト記20:1-17) 朝には、天から露のように降ってきたマナと呼ばれるパンで、夜には、飛んできたウズラの肉で(出エジプト記16:8)、そして、岩から出した水で(出エジプト記17:6)、彼らを養いました。 荒野で道に迷ったときに、神様は必要なものをすべて与えてくださると信じることに、迷いがあるでしょうか? 読み進めてもらうとわかりますが、神様が人間の眼を創造されたとき、手あたり次第にされたのではないのです。神様は、それぞれの構造が特別な機能を持つように、意図的に設計されたのです。 眼窩の7つの強靭な骨は、眼を収容し、保護し、そしてサポートするための‟窪み”を形作っています。まぶたは日光や異物より眼を守ります。眠っている時は閉じて、眼を保護し、潤いを保ちます。眉とまつげも破片が眼に入るのを防ぎます。 眼の一番外側の層となる角膜は、感染症から守ります。房水は目の角膜と水晶体に水分と栄養を与えます。 いかがですか? もし荒野で道に迷ったら、神様はあなたに必要なものをすべて与えてくださる、と信頼することはできますか? 神様はできる!と信じてください。神様はあなたを探しておられます。神様の方を振り向き、導いていただき、教えを請い、栄養を与えていただき、守っていだたきましょう。あなたは、神様の眼の瞳なのですから!