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キリストの愛

BLOG: February 2021 「16どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、17信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。18また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、」 (エフェソの信徒への手紙3:16-18 新共同訳) “クリスチャンが確信していること”という説教を聞いたとき、私はすでに30年以上クリスチャンでした。そしてその時に、私は自分の罪が神の恵みによってすでに赦されていることを知ったのです。エフェソの信徒への手紙にあるように、「7私たちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。8神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えてくださいました」(エフェソの信徒への手紙1:7-8新共同訳) そして私は、永遠の時を過ごす場所がどこかを知ったのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 (ヨハネ3:16新共同訳)   しかしその後、牧師はエフェソの信徒への手紙3:16-18を読み上げ、ヨハネ3:16の御言葉をもう一歩進めたのです。「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、17信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。18また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、」 (エフェソの信徒への手紙3:16-18 新共同訳) わあ! ちょっと待ってください。キリストは私を愛してくださり、その愛は聖霊を通して私の内に存在すると言ったのですか?つまり、キリストと永遠に過ごす時まで待つ必要はないということですか?今私が恩恵に預かれる贈り物を、どうして見逃していたのでしょうか? この啓示は、私のクリスチャンとしての歩みに、大きな違いをもたらしました。 キリストが私を愛してくださっているように、自分自身と他人とを愛する能力を与えてくれました。自分を傷つけた人々を赦し、無条件に愛することができるようになりました。それは自分の力ではなく、聖霊を通して私の内に働いてくださるキリストの力によってです。 この説教を聞く数年前、私には人生において傷つき、失望したりする状況があり、そのことで、信者同志の交流から徐々に距離を置くようになっていました。教会の人たちが自分の話を聞いたら、拒絶されるのではないかと恐れ、「本当の自分」をシェアできないと感じていました。しかし、神の愛とその受容という新たな啓示に勇気づけられ、教会のグループに参加することを決意しました。共に自分たちの話を分かち合い、励まし合い、そしてお互いの為に祈りました。私は拒絶されなかっただけでなく、他の人との関係を築くことで多くのことを学ぶことができました。 さて、解剖学と生理学のレッスンはないのか、と思っていませんか?エフェソの信徒への手紙を読んでみましょう。「人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」(エフェソの信徒への手紙3:19新共同訳) 神の愛を普遍的なレベルで知ることと、この愛を個人的な真理として受け入れることの間には大きな違いがあります。十字架に磔にされたキリストが、死にゆくこの世へ大きな愛を示してくださったことは、知識として知っています。そしてキリストが復活されたことによって、聖霊があなたの中に宿るように遣わされたことは、あなたの魂で信じるのです。聖霊の力は信仰を高め、あなたがよりキリストのようになり、やがてキリストの目を通して他人を見るようになります。神の愛を知り、信じると、あなたは「神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされる」のです。 キリストがどれほどあなたを愛しているか知っていますか? 知識としてだけでなく、あなたの内なる人で?あなたの魂で?キリストの愛があなたにもたらす、豊かさのすべてを受け取っていますか?あなたがそうであるように、私は祈ります。

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心を一つに(その2)

BLOG January 2021 11 主よ、あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。(詩篇86:11) 私は、クリスチャンとしての人生は旅なのだと知りました。イエスに人生を委ねると、聖霊が進むべき道を導いてくれるので、私たちはよりイエスのようになれるのです。「ピリピ人への手紙」には、使徒パウロの次のような言葉が書かれています。6あなた方の間でよい働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。(ピリピ人への手紙1:6) パウロは新しい信者が根気強くよい働きを続けるだけでなく、彼らが聖なるものに変わっていくことにも自信を持っています。 また、旅の途中でそこから逸れてしまう事すべてが、悪いという訳ではないことも知りました。 神に仕えるための良い方法はたくさんあります。 しかし、もし私たちが神が望まれているところで仕えていないのであれば、聖霊が私たちを神の計画に引き戻してくださるのです。 私は高校の生物学の教師を引退した後も、教育技術の会社でコンサルタントを続けていました。 私は教室でテクノロジーをうまく使い、生徒たちを実践的な学びに引き込むことが出来ていたからです。教師たちの教授方法にテクノロジーを盛り込む指導は、彼らの役に立てるものではありました。 しかし、しばらくすると、コンサルタント業への熱が冷めていくのを感じました。私は技術指導を行うために知らない町に飛び、初めての人たちと出会います。しかし、彼らの名前を名札で知るだけで、 次の日のフライトで家に帰るのです。この経験は私を空虚にさせ、もっと多くを望むようになりました。教師たちの技術力向上の手伝いをしていましたが、それは一時的なものでしかないことに気づいたのです。 このブログを書いている今、アメリカはコロナ禍の9ヶ月目に入っています。この状況下で、聖書研究会やフレンドシップ・インターナショナルのクラスを通じ、人々が繋がりを持ち続けられるよう、私はZOOMのテクノロジーを用いる機会を得ました。3月からは、週に1~2時間お互いの人生を分かち合うための集会を開いています。コンサルティングの仕事をしていたときに物足りなかったもの、すなわち「他者とのかかわり」を得ることができだのです。今は人々の人生に恒久的な変化をもたらすため、神が私に与えてくださった能力を活用しています。 今していることは、あなたを虚しい気分にさせていませんか? 神はあなたの人生に「足りないなにか」用意しています。神は次のことに備えて、あなたの中で働いておられます。 神を求めれば、神はあなたに知恵を与えてくださいます。 この新年、心をひとつにして生きることで、あなたの人生に「足りない何か」をみつけることができるでしょうか? 11 主よ、あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。(詩篇86:11)

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心を一つに -an undivided heart-(その1)

BLOG December 2020 11 主よ、あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。(詩篇86:11新改訳2017,2018) An undivided heart(分かれていない心臓*新改訳では「心を一つに」)についての聖句を初めて読んだ時、私はこう思った。でも、神様は私たちを「区分けされた心臓」で創造されているではないですか!心臓の左側は、酸素を豊富に含んだ血液を大動脈を通って心臓から送り出し、全身の組織に酸素を届け、二酸化炭素を運び出す。酸素の乏しい血液は心臓の右側に戻り、肺に送り出されて酸素を受け取り、二酸化炭素を捨てる。肺からの酸素を豊富に含んだ血液は心臓の左側に戻り、大動脈から全身に送り出される。 平均的な成人の体には6クォート(5.6リットル)の血液があり、1分間に3回体内を循環していると考えられている。 心臓には逆流を防ぎ、血液の流れる方向を変える4つの弁があり、そして心臓の左側と右側を隔てる「中隔」がある。血液が混ざることもなければ、カエルにみられるように、酸素の多い血液と少ない血液が存在するということもない。カエルの心臓は4つではなく3つの部屋に分かれていて、不完全な中隔がある。そのため、カエルは肺と同じく、皮膚を使って酸素と二酸化炭素を交換する必要がある。解剖学的に言えば、区分けされた人間の心臓は、完璧で素晴らしく作られているのだ。 (詳細は下の図を参照) では、なぜダビデは神に「区分けされていない」心臓を求めているのだろうか?ダビデはここで解剖学の話をしているのではない。 ダビデは神に、神の道を示してくれるよう、自分に歩むべき道を教えてくれるよう、頼んでいるのだ。 ダビデは、自分の中にある良いことは自分の外からもたらせていることを知っていた。過去の失敗から、自分の判断に頼ることができないことを理解していたダビデは、神の声を聞く必要があった。そこでダビデは祈ったのだ。完全に神に服従しつつ、その御名を称えて敬意を表すため、彼に「一つの心」を与えてくださるように神に求めたのだ。 あなたの場合は知りませんが、私の人生では、神の道よりも自分の道を選んでしまったことが何度もあった。私は自分の望むことと、神が私に望んでおられることを混同してしまう。私は性急になり、何がベストなのか知っていると思っている。結局のところ、それがアメリカ人のやり方なのだ。そうでしょう? 私たちは自立している!答えを見つけることができる!あなたの経験はどうだったであろうか?個人的には、私にとってこのやり方はうまくいってなかったのである。神に全てを委ねたと感じる時にこそ、自分がコントロールを取り戻そうとしていることに気づく。服従は敗北のように感じることもあるが、実際には自由を得ることなのだ。 この世の中のことと、神様がお望みになることの間で、あなたの心を分けてしまう何かがあるだろうか? 神に祈り、尋ねて欲しい。 あなたの体中に血液が循環するため、完璧な通り道を創造してくださったように、神様はあなたの人生に完璧な道を準備してくださるのだ。 5「心を尽くして主を信頼し、自分の理解に頼ってはならない。6あなたの道はすべて主に従えば、主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。 (箴言3:5-6 NIV)

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人体(その2)

BLOG November 2020 16たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。17もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。(コリント人への手紙第一12:16-17新改訳2017,2018) 使徒パウロは最初の18か月間をコリントの信者たちと一緒に過ごし、教会の共同体を築いた。その後も少なくとも2回はコリントを訪問した。またコリントの教会に手紙を書いた。パウロは、自分自身をコリントの人々にとっての父親のような存在であるとし、たとえ矯正や規律が必要な時でも、絶えることなく彼らに愛を示した。この手紙の中で、パウロは教会内の不和を取り上げている。教会内での立場を理由に、自分は他の人よりも優れていると主張するメンバーたちにより引き起こされたものであった。これによって、他のメンバーたちは、教会の共同体の中で自分は役に立ってないとか、必要とされていないと感じていた。 パウロは身体の器官について、神がそれらをどこに配置されたか、その形状と用途を類推を用いて説明している。例えば、目の構造や位置とその用途は、身体にとって必要なものだが、それは耳の構造、配置と用途と同じではない。耳も同じで、その構造、配置と用途は鼻のそれとは違う。しかし三つとも全部、身体が完全体となるには必要なものなのだ。 高校で人体解剖学と生理学を教えていたころ、毎年私のクラスはケンタッキー大学にある、「科学・医療系キャリアのためのアウトリーチセンター」を訪問したものだ。ある時の訪問で、教室の中に、いろいろな人体の標本が一列に並べられたテーブルがあったのを覚えています。話し手は、手袋をはめた手で、脳を持ち上げ尋ねた。「身体のどの部分が“見る”のでしょう?」もちろん生徒たちは一斉に答えた。「目です。」そして話し手は尋ねた。「身体のどの部分が“聞く”のでしょうか?」また、生徒たちは答えた。「耳です。」 話し手は引き続き説明した。目は、身体の中にイメージを取り込むのに完璧に作られてる。しかし、後頭神経により、そのイメージが、視覚を処理する脳の領域へ伝達されなければ、私たちは見ることはできない。同じことが耳にもいえる。耳は身体に音を取り込むのに完璧に作られている。しかし、音は聴覚神経により、音を処理する脳の領域へ伝達される必要がある。そして、あなたが思った通り!鼻と嗅覚も同じ、舌と味覚も同じだ。話し手は脳を持ち上げ、「見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったりするのは脳なのだ。」と言明した。 反時計回り: 嗅覚皮質(嗅ぐ 聴覚皮質(聞く)視覚皮質(見る)味覚皮質(味わう)      これらすべての感覚器官が頭に配置されているのは、偶然ではない。もし目が、耳が、鼻や舌が手にあったとしたら?足だったら?身体の形がまるで違うだけではなく、それぞれの役割である、画像、音、匂い、味を捉え、脳へ伝達するのはとても難しくなるであろう。 あなたは今まで、職場や学校、スポーツチームで、あるいは教会内で、自分は他の人よりも大切にされていない、あるいは役にたっていないと感じたことはないだろうか?各器官がそれぞれの見地からの刺激を捉えて脳に伝えるように、グループのメンバーも同様である。各メンバーはそれぞれのユニークなスキルと才能で、組織全体に貢献していまる。「肉の身体」で生きている時は、メンバーは強い愛の絆によって密接に結ばれているべきで、全体にとって善となることが、皆の目的になるべきだ。すべてのクリスチャンは、お互いを頼り、他から助けを得られることを期待し、それを受け入るのである。そこで、身体の中の統一性を考えてみよう。パウロの言葉を、コリント人への第一の手紙12:18-20で覚えておこう。 18しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。19もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。20しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。(コリント人への手紙第一12:16-17新改訳2017,2018)

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人体(その1)

BLOG October 2020 「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。」(詩編139:13新改訳2017,2018)    この聖句を読んだ時、高校教師をしていたときに、一般生物学ではなく人体解剖学及び生理学を教えるよう依頼されたことを思い出した。生物学の一般的な知識から、人体に関してより具体的に詳細なものへと、自分の教授方法を変えなくてはならないと思ったが、この挑戦を引き受けることにした。最初の難題は、内臓を形成する組織を学ぶ組織学だった。骨についている筋肉によって、身体の動作が可能になるということを教えればいいだけではなく、骨格筋組織の構造がどのように動作を可能にするのかを教えることになる。人体の内側の組織を教えるために、私も知識を掘り下げる必要があった。まず様々な組織のプレパラートを顕微鏡で調べることを始めた。箱から骨格筋組織のプレパラートを取り出し、顕微鏡のステージの上に置き、低倍率に合わせた。そして少し倍率を上げ、さらに高倍率にした。その骨格筋を内部に向かって見ていくうちに、私は魅了されてしまった!さまざまな種類の組織のスライドを調べ続けて、それらのスライドから、各臓器がどのように働くのかを解き明かす、構造的パターンを発見したのだ。 なぜ骨格筋組織は、ロープに似た繊維の束のように見えるのだろう?筋肉は、腱で骨とくっついている。筋肉の伸縮が骨の動きにつながり、特定の動きをすることが出来るのだ。例えば、リンゴを噛むとき、筋肉は下顎を動かして、口を開けたり閉めたりする。あなたの顎にロープがくっついていて、そのロープが上下に動くと、顎が同じ動きをするのが思い浮かぶであろうか? なぜ、血液組織の40%を構成する赤血球が、柔軟性のある卵型の円盤のような形をしているのだろう?赤血球細胞には、ヘモグロビンのためのスペースを最大にするために、核がない。赤血球はヘモグロビンの袋であり、酸素を運搬し身体のすみずみの組織に届ける。柔軟性があるために、血液は動脈や毛細血管床を通って移動することができる。もし、赤血球が長方形をしていて、硬かったらどうだろう? なぜ緻密質(骨の表面を構成する組織)は、同心円状に配置されているのだろう?この並び方は、緻密質の組織を高密度にし、骨を保護し強度をあたえる。もしあなたの骨が一層、二層だけの骨組織により構成されていたとしたら、あなたの生活はどう違っただろうか?自然の中で、どこにこの同じパターンを見ることができるだろう?木の年輪? Tree limbsという言葉は、「大きな木の枝」という意味で、人体の「腕と脚」は、limbs(四肢)である。 そして最後に、なぜ神経組織は、神経細胞の塊のようなクモの巣状のもので構成され、長く繊維状に伸びて互いに接続されているのだろう? 神経組織は脳との間で情報をやり取りしている。神経細胞から情報を伝達する繊維は、軸索と言う。一番長い軸索は人体のどこにあるのだろう?坐骨神経の神経細胞の中にあり、それは、脊髄の基部からそれぞれの足の親指まで伸びている。 これらは人間の身体を形成する、多くの種類の組織のうちのわずか四つにすぎない。30兆個を超える細胞が互いに組み込まれて組織を形成し、組織が臓器を形成し、臓器が臓器系を形成し、最終的にはあなたになる。その創造的なパターンの不思議さを、感じてもらえるよう願う。 「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」 「私は感謝します。あなたは私に奇(くす)しいことをなさって 恐ろしいほどです。私のたましいは それをよく知っています。」(詩編139:13-14新改訳2017,2018)

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手を伸ばせばそこに

September 2020 Blog 「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」と思っていたからである。 (マルコ5:28新改訳2017,2018) イエスが湖畔に来ると、大勢の人が周りに集まった。その群衆の中に、その地域の会堂の重要なリーダーであるヤイロがいた。ヤイロはイエスの足元にひれ伏し、家まで来て彼の娘を癒して欲しいと懇願した。そこで、イエスはヤイロと一緒に行かれた。すると大勢の群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。(マルコ5:24-25新改訳2017,2018)彼女は、治療を探し多くの医者にかかり、持っている物全てを使い果たしていた。ところが良くなることはなく、むしろ悪くなっていた。身体はボロボロになり、周りから疎外されていた。ユダヤ人の考えでは、彼女は汚れていたのである。彼女は群衆の中にいて、気づかれるのを恐れていた。しかし、愛されない人はいない、とイエスが言っているのを聞き、イエスを信じることをにした。そして、「もしあの方の衣にでも触れれば、私は救われる」(マルコ5:28新改訳2017,2018)といいながら群衆の中を進んで行った。すると、すぐに血の源が乾いて、病気が癒されたことを体に感じた。(マルコ5:29新改訳2017,2018)イエスもまた、彼女が自分に触れたのを感じた。自分のうちから力が出て行ったことにすぐ気がつき、誰が触れたのか、と周囲に聞いた。彼女は自分の身に起こったことを知り、恐れおののきながら進み出て、イエスの前にひれ伏し、真実をすべて話した。イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのだ。安心していきなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(マルコ5:33-34新改訳2017,2018) 指先は身体の最も敏感な部分の一つだと知っていましたか?神があなたを創造された時、身体のどこにでも触覚受容体を配置したわけではないのです。神は、もっとも必要となる場所に集中的に置かれたのです。各指先には3000個以上の触覚受容体があり、毎秒76mもの速度で脳に信号を送っています!どのように触覚受容体は、ひどい火傷を負うことから、あなたを守っているか考えてみましょう。高温の炎に触れた瞬間、考える間もなく、あなたは火から手を離します。マッサージ師は触覚受容体を用いて、どの箇所にどれぐらいの圧力が必要かを手先で見極めます。親は泣いている赤ちゃんをなだめるために、心地良いタッチで撫でます。目が不自由な人は、杖が触れた感覚を頼りに、慣れない場所ではそこの輪郭を思い描き、障害物を避けるのです。また触覚受容体は、彼らが点字を読んだり、人の顔や物体を認識するのにも役立つのです。 もう望みは絶たれた、と感じたことはありますか?何年も助けを探し求めたのに、無駄に終わったことは?身体は疲れ果て、社会から疎外され、愛されていないと感じたことは?このお話の冒頭を思い出してください。イエスはどこに行こうとしていましたか?ヤイロの家、その地域で要職についている人でした。なぜイエスはそこに向かったのでしょう?ヤイロの娘を癒すためでした。その途中、イエスは時間をとって立ち止まり、彼に手を伸ばした女性を受け入れましたか?そうです!イエスは彼女と言葉を交わし、癒したのです。彼女のように、イエスの眼には愛されない人などいない、と信じましょう。イエスに手を伸ばし、癒されてください。手を伸ばせばそこにいらっしゃるのです!

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神様はしっかりと掴んでいてくださる

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い物よ、なぜ疑ったのか。」(マタイ14:31新改訳2017, 2018) イエスは、ガラリア湖の湖畔にて5000人に食事を与えられた後、弟子たちに、先に船に乗って向う岸までいくように言われました。イエスは人々を家に帰され、祈るために独り丘に登られました。 その夜、弟子たちの乗った船は、陸地からまだかなり遠くにありました。強い風がおこり、彼らは荒れ狂う波にてこずっていました。ところが、イエスは水の上を歩いて、彼らのもとへやってきました。弟子たちは幽霊が出たと思い、怖がりました。すぐにイエスは彼らに話しかけました。「怖がることはない。しっかりしろ。私だ。」 ペテロは船を降り、イエスに向かって水の上を歩きだしました。しかし、風と波を見て恐怖を覚えました。だんだんと沈み始めたペテロは叫びました。「主よ、助けてください!」イエスはすぐに手を伸ばし、ペテロをつかむと、「信仰の薄い者よ。なぜ疑ったのか?」とおっしゃいました。 しっかりつかまれている、と安心したことはありますか? ペテロのように、誰かがあなたをつかみ、安全なところへ引っ張り上げてくれたことはありますか?階段から落ちそうになって手すりを思わずつかんだり、あるいは、ぬかるんだ道で滑ってしまわないように、木の枝に手を伸ばしたりしたことはありますか?つかむという行為は、親指があるために可能となります。ためしに、利き手の親指と人差し指を輪ゴムで結び付けてください。アイスクリームを掬い出してみたり、野球のボールを投げてみたり、携帯電話に二本の親指でテキストを打ってみたりしてください。親指はその他の指とは違います。親指以外の指は、二つの関節と三つの指骨があります。親指は、一つの蝶番と二つの指骨しかないのです。しかし、もっと大切な違いは、親指は他の指と向い合せにできるのです。同じ手の他の指と簡単に合わさることができるため、物をつかめます。しかし、神様の設計による、他の指と向い合せになるという親指の機能は、ただ物をつかむというよりも、もっと大切な働きを担っているのです。 ペテロのように、神様を疑っていますか?神様は遠くにいて、あなたのことなど気にしていないと思ったりしていませんか?あなたの状況に、どうやら神様は働きかけてくださっていると思いながらも、周りの環境により、疑念が生まれてしまうことはありませんか?恐れないでください。勇気を持ってください。神様はここにおられます。あなたの手は、神様につかまることが出来るように創造されているのです。 あなたを離さず掴んでいてくださる神様の御手に留まり、信じてください!

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あなたの眼の中のリンゴ(その1)

あなたの眼のリンゴのように私を守り(詩編17:8 NIV和訳) *新改訳では、「瞳のように私を守り」(詩編17:8新改訳2017, 2018)と訳されていますが、NIVでは、Keep me as the apple of your eye; 訳「あなたの眼のリンゴのように私を守り」となっています。 私は最近、ある日曜日の聖書勉強会で、この表現に出会いました。そこで思ったのは、ダビデはなぜ、神様の眼の“リンゴ”のように…と願うのか、ということでした。 そしてさらに、そもそも眼のどの部分がリンゴなのでしょうか? 好奇心を抑えることが出来ず調べた結果、“眼のリンゴ”とは、瞳孔のことを指すということがわかりました。古代において、瞳孔は、リンゴのように丸い固体であると信じられていたのです。 現代では、瞳孔が固体ではなく、眼球の色のついている部分、虹彩の中心にある孔であることがわかっています。虹彩の筋肉は大きさや形を変えながら、瞳孔を通る光の量を調節しています。視覚にとって光はなくてはならないものであり、瞳孔はとても大切であると考えられていました。 なので、ダビデが「あなたの眼のリンゴのように私を守り」(詩編17:8 NIV和訳)、と神様に願ったのは、神様の満ち溢れた愛の対象である、慈しまれた子供として自分を見てほしいという思いだったのです。 友人の目をよく覗き込んだ時、まるで鏡のように、あなたの小さな姿が映っていることに気づいたことはありますか?ヘブライ語で、“眼のりんご”とは、「眼の中の“小さい人”」と訳されます。--愛しさにあふれた呼びかけの言葉ですね。 同じ事が私たちと神様との関係においても言えます。あなたの友人の目の中に、小さくあなたが映っているのが見えるように、神様は、あなたを見るときに、ご自身の姿が小さく映っているのをご覧になっているのです。あなたは神様の姿に似せて創造されたということを知っていますか?あなたは神様の慈しまれた子供であり、大切な宝なのです。あなたは神様の眼の中のリンゴなのです!

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あなたの眼の中のリンゴ(その2)

主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼をみつけ、これを抱き、世話をし、 ご自分の瞳のように守られた(申命記32:10新改訳2017,2018) この節では、“彼”とは、エジプトを脱出し、約束の地カナンへ向かっていたイスラエルの民のことを指します。その旅の間、イスラエルの民は40年間シナイ砂漠の荒野をさまよい歩いたのです。 この時期、神様は彼らを見つけてくださいましたが、それはたまたまではなく、自らのご意志により、そうされていました。 昼は雲の柱で、夜は火の柱で、彼らに道を示されました。そうすることで、彼らは昼も夜も進んで行けたからです。(出エジプト記13:21) また、石の板2枚に書かれた律法を授けられました。(出エジプト記20:1-17) 朝には、天から露のように降ってきたマナと呼ばれるパンで、夜には、飛んできたウズラの肉で(出エジプト記16:8)、そして、岩から出した水で(出エジプト記17:6)、彼らを養いました。 荒野で道に迷ったときに、神様は必要なものをすべて与えてくださると信じることに、迷いがあるでしょうか? 読み進めてもらうとわかりますが、神様が人間の眼を創造されたとき、手あたり次第にされたのではないのです。神様は、それぞれの構造が特別な機能を持つように、意図的に設計されたのです。 眼窩の7つの強靭な骨は、眼を収容し、保護し、そしてサポートするための‟窪み”を形作っています。まぶたは日光や異物より眼を守ります。眠っている時は閉じて、眼を保護し、潤いを保ちます。眉とまつげも破片が眼に入るのを防ぎます。 眼の一番外側の層となる角膜は、感染症から守ります。房水は目の角膜と水晶体に水分と栄養を与えます。 いかがですか? もし荒野で道に迷ったら、神様はあなたに必要なものをすべて与えてくださる、と信頼することはできますか? 神様はできる!と信じてください。神様はあなたを探しておられます。神様の方を振り向き、導いていただき、教えを請い、栄養を与えていただき、守っていだたきましょう。あなたは、神様の眼の瞳なのですから!