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復活したイエス

“ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイの福音書28:6 新改訳2017)” 空っぽの墓 20 さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。2それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」  3 そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。 4二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。 5そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。6 彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。7 イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。8 そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。10 それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。(ヨハネの福音書20:1-10 新改訳2017) マグダラのマリアの前にイエスが現れる 11 一方マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。12すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。 13 彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることがわからなかった。 15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」 16 イエスは彼女に言われた。「マリア。」 彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。 17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。 18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれのことを話されたと伝えた。 弟子たちの前にイエスが現れる 19 その日すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こういわれた。「平安があなたがたにあるように。」 20こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。 21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」 22こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」(ヨハネの福音書20:19-23, 新共同訳) トマスの前にイエスが現れる 24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。 しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手をいれてみなければ、決して信じません」といった。26八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」 29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネの福音書20:24-29 新改訳2017) イエスと奇跡の魚とり 21 その後、イエスはティペリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子がおなじところにいた。3シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。 4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。 5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」 6 イエスは彼らに言われた。「船の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。 7 それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。8一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。9こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。 10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持ってきなさい」と言われた。11シモン・ペテロは船に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。12イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。 13イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。14イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。 ペテロに再び権威をあたえるイエス 15彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」 ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなた愛していることは、あなたがご存じです。」 イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」 16 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」 イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」 17 イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。 ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」 イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。(ヨハネの福音書21:1-17 新改訳2017) イエスは死に打ち勝ちました。イエスは癒しと平安を与えました。イエスは恐怖に勝利しました。イエスは疑念を晴らしました。イエスは弟子たちに聖霊を授けました。イエスは網を魚で一杯にしました。イエスは人々に食事を与えました。イエスは希望を取り戻してくれました。イエスは彼の名において布教する権限を与えました。 イエスは今もこれらの事をおこなっているのです。ハレルヤ!

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アイデンティティー:指紋

17ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(コリント人への手紙第二 5:17, 新改訳2017)  ここでは、使徒パウロはコリント教会の、新しい信者たちに語り掛けています。彼らはもはや、ユダヤ教の儀式を行う必要も、地上の偶像に頼る必要もないのです。彼らの救いは、このパウロの言葉によって語られているように、キリストにあるのです。 20もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きている命は、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。(ガラテヤ人への手紙 2:20, 新改訳2017)    2023年、また年が明けました。年の始めに新年の誓いを立てる人がたくさんいます。もっと健康的な食事をしようとか、もっと運動しようとか、家族や友人との時間をもっともとうとか、貯金をしようとか。誓いは守られるときと守られないときがあります。新年の誓いとは違い、新しい信者たちは、生活の改善を自分自身にゆだねる必要はなくなるのです キリストを信じる新しい信者は、以前持っていた偏見、意見、習慣、執着が、彼らの生活の中で深くガラリと変わることを経験します。 彼らの罪への愛、自己愛、この世への愛が去っていくのです。このような変化は、新しく生まれかわったときに始まり、聖霊の導きによって継続します。イエス様が弟子たちに約束されたように。 15「もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。16そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。17この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。(ヨハネの福音14:15-17, 新改訳2017) 聖霊の助けによって私たちの心の中に急激な変化が起こったとしても、その変化が起こる前から、私たちはそれぞれ“オンリーワン”の存在として創造されたのだということを自覚するように、と神様は願っておられます。私たちは皆、一人ひとりに固有の賜物と特性を備えて愛情を込めて形作られ、最終的には神様を愛し、互いに愛し合えるよう作られているのです。とんどの人がソーシャルメディアでフォローされているような時代、私たちは、自分がスポットライトを浴びない限り、自分には特別なものは何もないと思い込んでしまうことがあります。 それは全くの見当違いなのです! 今年のクリスマス、ダラスで飛行機に乗るとき、私は搭乗券を持って列に並びました。 しかし、私の番が来たとき、搭乗券をスキャンする機械はなく、代わりに空港係員が私の顔写真を撮るためにカメラの方を向くようにと言ったのです!  もしかしたら皆さんも経験あるかもしれませんが、私は初めてでした。 顔認証は今や多くの空港でセキュリティーのため、またパスワードの代わりにスマートフォンのロックを解除するために使われています。もしかしたら、あなたもスマートフォンやアプリのロック解除に、この技術や指紋スキャナの技術を使っているかもしれませんね。 3年前、個人指導教師や代用教員になるために地元の学区に応募したとき、指紋の採取を要求されたことがあります。 皆さんもこの本人確認システムを経験したことがあるのではないでしょうか。 両手の指をそれぞれ黒いインクで転がし、指紋カードの指定された場所に指を置くのです。 指紋はどのように個人を特定するのでしょうか? 指紋は個人に固有のものです。 それぞれの指の指紋を分析すると、その形によって分類されます。 一般的な形は、ループ、渦巻き、アーチの3つです。下の表を使って、この写真に写っている2つの指紋を分類することができますか? 同じ形状の指紋を持つ人が2人いても、その形の中に違いがあり、それぞれの人の指紋は固有のものになります。 指紋の形成には、遺伝と環境が関与しています。 一卵性双生児でも、手を使った動作による摩擦により指紋が変化するため、それぞれ固有の指紋を持つことになります。 あなたの指紋について考えてみてください。 紙で切ったり、血糖値測定の血液検査でピンで刺したり、あるいはその他の経験からできた傷跡はありませんか? ダビデの言葉 13 あなたこそ私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。 14 私は感謝します。あなたは私に奇(くす)しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいはそれをよく知っています。(詩篇139:13-14, 新改訳2017) 私たち一人ひとりは、独自性を持ったユニークな存在として創造されました。今年は、あなたの中の聖霊の力によって、キリストにあるあなたのアイデンティティーがより深く成長しますように。新年おめでとうございます!新しいあなたに祝福を! Illustration 104501710 © Viktoria Kabanova | Dreamstime.com Photo 11455577 / Fingerprint © Grzegorz Kula | Dreamstime.com

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「聞こえる」こと、と「耳を傾ける」こと

3年以上スペイン語を勉強していると、スペイン語と英語の違いがよくわかるようになりました。 例えば、私が "Did you hear me? "と言ったとき、その質問は "聞こえましたか? "と訳されるか、"私が言ったことを理解しましたか? "と訳されるかのどちらかです。 スペイン語では、"oír "という動詞は、耳から音を聞き取るという意味です。 一方、「escuchar」という動詞は、音や人の言葉の意味に注意を向けることを意味します。このように、聴覚を表す動詞が2つあるので、その質問の意味がはっきりするのです。 聖書には、この二つの意味を区別している節がたくさんあります。しかし、こちらの聖句にあるイエスの言葉に関しては、その意味に疑問の余地はないのです。 24「よく言っておきます。わたしの言うことを聞き、わたしを遣わされた神を信じる人にはだれでも、永遠のいのちがあります。罪のために罰せられることは絶対にありません。すでに死からいのちに移っているのです。」 (ヨハネの福音書5:24, JCB) 24「わたしの教えを聞いて、そのとおりに忠実に実行する人はみな、堅い岩の上に家を建てる賢い人に似ています。25 大雨が降り、大水が押し寄せ、大風がふきつけても、その家はびくともしません。土台がしっかりしているからです。26 反対に、わたしの教えを聞いても、それを無視する人は、砂の上に家を建てる愚かな人に似ています。27大雨、大水、大風が襲いかかると、その家はあとかたもなく、こわれてしまうからです。」(マタイの福音書7:24-27, JCB) 神様は、人間の耳を外耳、中耳、内耳、と3つの部分に分け、特定の構造と機能を持つように造られました。 外耳は音波を捕らえるようにカップ状になっており、外耳道を通るように誘導します。音波は鼓膜にぶつかり、振動させます。そして、その音波を中耳にある3つの小さな骨、「あぶみ骨」「きぬた骨」「つち骨」に伝えます。この3つの骨を総称して「耳小骨」と呼びます。耳小骨は音を増幅し、音波を内耳に送り、リンパ液で満たされた蝸牛に送り込みます。蝸牛の中には、小さな有毛細胞があります。耳小骨と同じように、小さくても重要な働きをしています。有毛細胞は、音波による機械的振動を電気信号に変換し、聴神経を介して脳の側頭葉にある聴覚野に伝達します。そして、脳はこの電気信号を音として処理するのです。 難聴の原因のひとつは、有毛細胞の損傷です。 耳が大きな音にさらされると、有毛細胞はダメージを受け、機能しなくなります。 有毛細胞は再生しないので、これが原因の難聴は元に戻りません。そうですね、補聴器や人工内耳もありますが、私は解剖学の学生たちによく「自分の体を大切にしなさい」と言っていました。 わたしたちはもともと、神様によって特別な存在にしていただいているのです。 いつか、イエスのこれらの言葉が成就するのです。「はっきり告げましょう。死人が神の子であるわたしの声を聴くときが、もうすぐきます。いやもう来ているのです。そして聞いたものは生きます。」 (ヨハネの福音書5:25, JCB)  私の大好きな聖句のひとつでお終いにしようと思います。「見なさい。わたしは戸の外でたたいています。その呼びかけに答えて戸を開ける人なら、わたしは中に入って、だれとでも親しく語り合います。そして互いに楽しいときを過ごすのです。(ヨハネの黙示録3:20 JCB)。 もしあなたがドアのノックを聞かずに、そしてイエスの声を聞かず、ドアを開けてイエスをまだ受け入れていないなら、何を待っているのでしょう! イエスに心の扉を開いて、イエスとの宴の祝福を永遠に楽しみましょう! Illustration 117520013 / Anatomy © Viktoria Kabanova |dreamstime.com Illustration 218434512 / Anatomy © Axel Kock | Dreamstime.com

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母国語

聖霊が五旬節の日に降臨される。 2 1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。 5さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々からきて住んでいたが、6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれの自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人たちではないか。8それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。 9 私たちはパルティア人、エディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」(使徒の働き2:2-11 新改訳2017) 「母国語」という言葉を聞いたことがありますか。聖句8節では 「母国語」、11節では 「自分の舌」と書かれていますね。「母国語」とは、その人の第一言語という意味です。 神は舌を創り、多くの機能を持たせました。 舌は、噛むこと、飲み込むこと、味わうこと、そして言語音を形成し、話すときに役立ちます。 今回のブログでは、言語形成における舌の重要性に焦点を当てます。 高校時代、私はラテン語を勉強しました。 当時は、ラテン語の知識が将来のキャリアにどれほど重要な意味を持つか知りませんでした。私は高校の理科教師を退職していますが、そのキャリアのほとんどで、生物学、解剖学、生理学を教えました。 これらの理系講座は、主にラテン語に基づく新しい用語が数多く出てくるため、内容は難しいものでした。ラテン語の知識があったからこそ、自分自身で内容を学びながら、生徒たちにも効果的に教えることができたのです。よく生物学用語のラテン語の語源を用いて、生徒が用語を覚えるだけでなく、理解しやすくしました。例えば、関節を意味するラテン語の語根「arthro」は、関節肢(脚や触角)を持つコオロギやロブスターなどの節足動物門の名称(the Phylum Arthoropoda)として使われています。また、炎症を意味する語根「itis」は、「arthr」と結合して、一般的な症状である‟関節の腫れ”を表す「arthritits」(関節炎)となっています。 私たちは、話す言語によって舌をさまざまに使い、独特の音を出しています。舌は随意筋であり、丈夫な組織と粘膜の網目によって口腔内に固定されています。舌の前方を、つなぎとめているロープのようなものは、「舌小帯」と呼ばれます。口の奥では、舌は舌骨に固定されています。舌骨は首の前方、下顎のすぐ下に位置しています。 舌の裏側の重さを支えることで、発声に重要な役割を担っています。舌骨は、人間の骨の中で唯一、他の骨と関節でつながらず、筋肉、靭帯、軟骨で結合しているユニークな骨です。この特殊性のため、「自由に浮いている」と表現されることもあります。舌骨は下の写真で赤い影で示されています。 日本語の音を作る時には、口唇・舌・下あご・軟口蓋が活躍します。 口唇を使う音には「パ行」や「バ行」、「マ行」があります。舌は先を使えば「タ行」や「ナ行」、奥を使えば「カ行」など、使う場所を変えて出したい音を調節しています。軟口蓋とは上あごの奥にある柔らかい部分です。この部分の運動によって鼻から抜く音(マ行など)と抜かない音(パ行・バ行など)を出し分けています。下あごは、口唇や舌の運動と協調して、音に合わせて口の開き方を調節しています。 (テーマパーク8020より引用 https://www.jda.or.jp/park/relation/language_01.html)(C)Japan Dentist Association All Rights Reserved. 新しい言語を学ぼうとしたことがあるなら、正しく発音するのは信じられないほど難しいことをご存じでしょう。何年もの(もしくは何十年)の間、特定の音を出してきた後で、舌の筋肉を違った動きに挑戦させ訓練することは、練習と(そして勇気!)が必要です。このことで、「使徒の働き」のその一節がいかに素晴らしいことなのかわかります。この情景を思い描くとき、エルサレムを訪れた人々は、自分たちの言葉で福音を聞いただけでなく、その発音もぴったりだったのではと想像してしまうのです。 ウィクリフ・グローバル・アライアンスによると、聖書全体は724の言語に翻訳されているそうです。 新約聖書はさらに1,617の言語に翻訳され、聖書の一部分は1,248の言語に翻訳されています。世界中の人々に福音を伝えるために、どれだけの人々が尽くしてきたか、ちょっと考えてみてください! 宣教師とその通訳者は、他の国で異なる言語を話す人々に福音を伝えるために重要な役割を果たしていますが、自分の国にも「母国語」を共有できない人々がしばしば存在するのです。5年前、私はコロンビア出身の親友を先生に、スペイン語を勉強し始めました。当時は、もしかしたら神様が私をスペイン語圏の宣教師にするために準備してくれているのかもしれない、と思っていました。 しかし、結局のところ、私の宣教の場はまさにここ、私の住んでいるところにあるのです。 ヒスパニック系の高校生に、数学と科学を個人的に教え始めて今年で3年目になります。 生徒たちが高校生活で成功できるよう手助けできる機会を与えられたことをとても感謝しています。私が彼らの言語をよりよく学ぶために舌を鍛え続けている間も、彼らが私を通してキリストを見てくれることを願っています。 すべての創造物がそうであるように、神は私たちの体のすべての部分を特別な目的を果たすために造られました。舌には、祝福と、罵り、痛みまたは癒すための驚くべき力があります。最終的には、たとえ言葉がなくても、パウロの宣言にあるように・・・・ 10こうして天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。 (フィリピ人への手紙2:10-11 新共同訳2017) ・・・・と、ここに向かって、他の人々を促すような生き方ができるようになるのです。 Illustration 142193269 / Anatomy Tongue © Medical Stocks | Dreamstime.com Illustration 155218917 / Anatomy © Sebastian Kaulitzki | Dreamstime.com

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神の杖を手に持って

8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエスと戦った。9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手にもって、丘の頂に立ちます。」 10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。11 モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。 12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰かけ、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で打ち破った。(出エジプト記 17:8-13 新改訳2017) 神の杖を通してモーセに力が与えられた話は数多くあります。その一つに、出エジプト記17:6で、モーセが杖で石を叩き、乾ききったイスラエルの民のために水を出した、とあります。 また、同記14:21-28には、モーセが手を挙げて紅海を分け、エジプトのファラオとエジプト軍から逃れた話があります。エジプト人が乾いた地を渡ってイスラエルの民を追おうとしたとき、モーセは再びその手を海に向かってさっと動かし、エジプト人は皆死んでしまいました。 ヨシュアのアマレクとの戦いの聖句は、私の好きな神の杖の例です。モーセの腕が疲れたときに、アロンとフルが一緒になって助けることの重要性が説明され、強調されているからです。なぜモーセは一人で杖を持ち続けられなかったのでしょうか? モーセが手を挙げているとき、彼の上腕二頭筋が働き、上腕三頭筋は休んでいました。 モーセが手を下ろしたとき、彼の上腕三頭筋が働き、上腕二頭筋は休んでいました。 筋肉が働いたり休んだりするとき、2つの異なる筋繊維が相互に作用します。 その一つ、アクチンは、太い繊維のミオシンに比較すると、細い繊維です。筋肉が収縮するためには、ミオシン繊維がアクチン繊維に付着して、それを引っ張らなければなりません。 これにはエネルギーが必要です!  ATPは体内の「エネルギー通貨」と言われます。 ATPは、酸素が筋肉細胞に入るときに副産物として生成されます。 ATPは「パワーストローク」(首振り運動)のエネルギーとなり、ミオシン繊維とアクチン繊維を結合する「クロスブリッジ」を形成します。そして、アクチン繊維は中心に向かって引っ張られます。ATPのエネルギーを使い切ると、クロスブリッジは壊れ、アクチンフィラメントは元の位置にスライドして戻っていきます。神様はATPエネルギー分子を簡単に再生できるように作られましたが、酸素がなければ体内でATPを生成することはできません。 ここで、筋肉が収縮したり弛緩したりするときに何が起こっているかを見て理解するために、もう1つの図を示します。最初の図をもう一度見て、筋肉の変化とアクチン筋繊維がミオシン繊維の上を滑ったり離れたりすることを、関連付けてみてください。 これで、筋肉を伸ばしたときに何が起こっているか理解できましたか? 人が死んでしまうと、なぜ筋肉が固定されてしまうのか理解できるでしょうか? 道ばたに転がっている動物の死骸が硬直しているのに気づいたことはありませんか?死後硬直という言葉を聞いたことがありますか?法医学者は死後硬直が起こる過程の知識を用いて、死亡時刻を推定しているのです。 緊張状態の筋肉 弛緩状態の筋肉 長い時間何かを手に持って、上に掲げ続けたことがありますか? 疲れた時、呼吸を止めてしまいましたか?私が運動するとき、呼吸をするのを忘れてしまうのですが、それは大きな間違いなのです!私は息を止めて、歯を食いしばり運動し続けてしまうのです!若かった時分、泳いだり走ったりすることが大好きでした。でも、呼吸のリズムを運動に合わせるという訓練を受けていなかったので、長い距離を泳いだり走ったりできるようになりませんでした。 それでは、なぜモーゼは神の杖を掲げたり下げたり、自分でやり続けることができなかったのでしょうか?モーゼが手を挙げているとき、彼は疲れてしまい、息が切れてしまったのです。アーロンとフルは、モーゼの筋肉が働き続けるのに必要な、パワーストローク(首振り運動)エネルギーを与えたのです。神様は、私たちの最高のパワーストロークです。 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピの信徒への手紙4:13)(強調は筆者による) しかしながら、アーロンとフルのように、私たちも自分の人生において、他人を支え持ち上げることによって、力を与えることができるのです。あなたの力強いエネルギーが必要な人はいますか?その人のために祈ることはできますか? カードで励ましの言葉を送りますか?一緒に散歩に行きませんか?あなたが他の人を助けることで、神様はあなたを助けてくださるのです。あなたはその御業に驚くかもしれません。 Illustration 197898637 © Designua | Dreamstime.com https://www.quora.com/What-is-sliding-filament-theory-of-muscles Illustration 210945497 © Blueringmedia | Dreamstime.com https://www.gospelimages.com/paintings/91/the-fight-against-amalek?

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傷跡

19 同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸にしっかりかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、20 手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。(ヨハネの福音書20:19-20 JCB) 復活されたイエス様の栄光の体に、なぜ十字架にかけられた時の傷が残っていたのか、不思議に思ったことはありませんか?なぜ神様はその傷跡を癒さなかったでしょうか? 神様は、イエスが私たちの罪の償いのために十字架上で苦しまれたこと、それを私たちが忘れないよう傷跡を残されたのです。 イエスの教会は永遠に、キリストの体の傷跡を見て、彼が私たちのためにしてくださったことに感謝の礼拝を捧げるのです。 しかし、それだけではありません。 イエスは私たちも傷跡を持つことを予期しておられます。 復活したキリストは、福音を人々に伝えるために弟子たちを世界に送り出したとき、忘れがたい、視覚に訴える教えを与えました。 21 イエスはもう一度言われました。「平安があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネの福音書20:21JCB) 次の聖句では、使徒パウロがガラテヤのクリスチャンたちに向かって話しています。 彼らは、キリストを信じるようになった異邦人が、割礼を受ける必要があるかどうかについて議論しています。 ユダヤ教の律法では、割礼は生後8日目に行われ、神とアブラハムとの契約を身体に表現するものとされています。この議論は、改宗したユダヤ人と異邦人の両方から構成されていた、初代教会で起こった数多くの議論の一つでした。どのような宗教的、文化的儀式を残す必要があるのでしょう? パウロは、その信仰のために迫害され、布教活動中は石打や殴打を受けたので、多くの傷がありました。 しかしそれを隠す必要はありませんでした。イエスと彼の関係の証だったからです。彼はこう書いています。 14 しかし私は、主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものなど何もありません。十字架によって、私は、この世のものすべてに対して興味を失ってしまいました。この世も、私に対する興味をすっかり失ってしまったのです。15 割礼を受けているかいないかは、いまは全く問題ではありません。大切なのは、私たちがほんとうに別の新しい人に作りかえられているかどうか、ということです。16 どうか、この原則に従って生きる人々、そして真に神のものとなった人々に、神のあわれみと平安がありますように。17 もう二度と、こんな問題で論じ合わなくていいようにしたいものです。私の体には、イエスに敵対する者からむち打たれ、傷つけられた跡が残っていますが、それこそ、キリストの奴隷であることのしるしなのですから。(ガラテヤ人への手紙6:14-17 JCB) あなたはどこかに傷跡がありますか?その傷がなぜついたのか、説明することができますよね。私の右目の上には「グーフィー」と名付た傷があります。オルランドのディズニー・アニマルキングダム・テーマパークで転んだときのものです。地面に打ち付けたときに眼鏡が壊れ、そのガラスのかけらで瞼を切りました。傷口は縫合され、目には何の影響もなかったので良かったと思っています。 人工膝関節置換術の傷跡は高齢者に多いのですが、ACL(前十字靭帯)手術の傷跡は少年や若年層のアスリートによく見られます。傷跡を目立たなくするために治療する人もいれば、そのままにしておく人もいます。 インドにビザの申請する際、個人を特定できる目に見える特徴を加えるのですが、申請者は傷跡を記入することが多いようです。 人間の皮膚は約30~40日ごとに再生するならば、なぜ傷跡は消えないのでしょうか?実は、すべての皮膚細胞が周期的に入れ替わるというのは正しくないからです。表皮細胞だけがそうで、30~40日生きて表面から剥がれ落ちていくのです。しかし、皮膚は表皮と真皮からなり、傷跡は真皮にある高密度な線維組織でできているのです。 この写真は、皮膚の2つの構成要素を表しています。特にここでは、真皮の部分はすべて瘢痕組織(はんこんそしき:損傷から治癒する過程の組織)で、損傷を受けていない真皮であれば、これほど密になることはありません(次の正常な皮膚の写真と比較してみてください)。一番上の緩い繊維状のものは、剥がれ落ちる途中の死んだ表皮の細胞で構成されています。 では、傷ついた部分の真皮が密になる原因は何でしょうか?真皮層に傷がつくと、皮膚はその傷を修復するために新しいコラーゲン線維を形成し、その結果、傷跡ができるのです。コラーゲンは皮膚に存在する天然のタンパク質です。しかし、傷が治る過程でコラーゲンが過剰に生成されると、正常な組織の再生が阻害されます。この過程で、周囲の組織とは異なる質感、色、質を持つ新しい瘢痕組織が生まれます。肥厚性瘢痕は、火傷や外科的切開によって、張りのある皮膚にできる厚く盛り上がった傷跡です。 萎縮性瘢痕は、皮膚が組織を再生することができないため、皮膚組織の正常な層より下で治癒する、へこんだり陥没した傷跡です。 どんなタイプの傷跡であっても、それは人間の肌が傷を治す自然な方法です。傷跡が美しいものであることはほとんどありません。「傷跡」という言葉にさえ、否定的な意味を含んでいます。ディズニーの悪役といえば、映画『ライオンキング』に登場するライオンのスカーが有名です。しかし、傷跡は開いた傷口をふさぐという、命を守る役割を担っているのです。皮膚が、病気を引き起こす外からの侵入物に対する、防御の最前線だということを忘れないでください。 皮膚が肉体的な病気に対する防御の最前線であるとすれば、神はいかなる霊的な攻撃に対しても私たちの最初の防御線であり続けます。私たちが、傷跡なしに怪我から回復することはないように、イエスが罪と死に対して戦った戦争は、その傷跡を残しました。傷跡を残すようにしたことで、神様は私たちに、イエスが戦い、戦い続け、そして常に勝利していることを思い出させているのです。 しかし、イエスの戦いには代償が伴いました。 最後に、このブログのための2つの聖句、ヨハネによる福音書20:19-21とガラテヤ人への手紙6:14-17を読み直してください。そして、マイケル・カードが歌う "He Will be Known by His Scars" を聴いてみてください。聖霊があなたを祝福し、イエスがあなたをどれほど愛しているかを知って、あなたに希望を与えてくださるよう祈ります。イエスは、あなたがこの地上で勝利に満ちた人生を送り、そしてイエスと共に永遠の命を得ることができるように、ご自分の命を与えてくださったのです。 https://www.youtube.com/watch?v=EVDxH0U-DBo https://www.youtube.com/watch?v=EVDxH0U-DBo https://www.microscopyu.com/gallery-images/scar-tissue-at-10x-magnification-1 https://www.istockphoto.com/search/more-like-this/184090784?assettype=image&phrase=skin%20histology 1Key, Stan. Face to Face. (The Francis Asbury Society,… Continue reading 傷跡

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再び信仰の道へ

10 ああ神よ。どうか、きよい思いと正しい願いで満たされた、新しいきれいな心にしてください。 11 私を見捨てて、永久に御前から追放してしまわれることがありませんように。聖霊を私から取り上げないでください。 12 救いの喜びを再び鮮やかにして、心からあなたに従おうとする思いに満たしてください。 (詩編51:10-12 JCB) 今月のブログでどの聖句を使おうかと祈ったとき、キース・グリーンの「Create in Me a Clean Heart」(清い心にしてください)という曲が頭に浮かびました。 この歌は、バテシバと姦淫した後ダビデが書いた、詩篇51篇の言葉から取ったものです。 1-9節で、ダビデは神様に慈悲を示してくれるように懇願しています。ダビデは自分の罪を認め、神に自分の罪を消し去り、咎を洗い流し、罪からきよめてくれるように頼んでいるのです。 神はダビデから背を向けます。ダビデは、神との関係を再び取り戻す喜びを渇望しているのです。 13-19節で、ダビデは神に背く者たちに神の道を教え、彼らを改心させると約束しています。 もし神が赦してくださるなら、ダビデは再び神への賛美を語り告げるでしょう。彼は生贄を捧げることは無駄であると知っていました。なぜなら、神は罪に向き合わない心でささげられた生贄は喜ばれません。砕かれ、そして悔い改める心を喜ばれるのです。 先月、私は、正のフィードバックについて書きました。ある化学的経路を最終的な目的に達するまで継続させることにより、身体の恒常性を維持するものです。 正のフィードバック・ループの例として、止血と出産の二つを挙げました。 今月は、負のフィードバック・ループについて書きます。「負」と呼ぶのは、一時的に流れを止めてしまうからです。 流れを継続させることはできません。これにより、体のシステムは安定し、健康な状態に戻ることができます。 負のフィードバックシステムの最初の例は、血糖値の調節です。 下のイラストの左中段を参照してください。 食事をした後、血糖値が上昇します。膵臓はインスリンというホルモンを分泌します。 インスリンは血中を巡って細胞を刺激し、エネルギーとして利用するためにブドウ糖を取り込ませます。 余分なブドウ糖は肝臓に運ばれ、グリコーゲンに変換されて貯蔵されます。血液中の血糖値が正常値より下がると、膵臓からグルカゴンというホルモンが分泌されます。 グルカゴンは血液に乗って肝臓に運ばれ、貯蔵されていたグリコーゲンを分解してグルコースにします。グルコースは血液に入り、こうして血液中のグルコースレベルを正常な状態に戻すのです。 負のフィードバックの2つ目の例は、体温の調節です。 視床下部は体の温度調節器です。 視床下部には、産熱中枢と放熱中枢の両方があります。下のイラストの左側を参照してください。 皮膚にある感覚神経受容体は、皮膚の表面が冷えると視床下部に指令を送ります。 視床下部の産熱中枢が神経系を活性化し、皮膚表面付近の毛細血管を収縮させます。 これにより、熱の放出が抑えられ、熱は保たれます。神経系は汗腺への刺激を遮断します。 毛包にある立毛筋が収縮すると、体毛が立ち上がり、熱をとじこめます。 また神経系は骨格筋の活動を活発にして身体に震えを起こし、熱を発生させます。 皮膚表面が熱いとき(図の右側)、皮膚にある感覚神経受容体は、視床下部の放熱中枢に指令を送ります。放熱中枢は神経系を活性化し、皮膚表面付近の毛細血管を拡張させ、熱を放出させます。神経系は、汗腺から汗を分泌させます。汗が皮膚から蒸発するとき、熱エネルギーが皮膚から奪われるのです。 私たちの身体には「チェック・アンド・バランス」システムが組み込まれており、すべてが最適なレベルで動作するように設計されています。もし、あるべき姿よりも高い/低い、あるいは熱い/冷たいものがあれば、それに対する解決策があるのです。 主の霊的な身体にも同じことが言えます。三位一体とは、3つの位格が1つになったものです。神はただ一人ではなく、父、子、聖霊の愛の関係の中で生きている神なのです。一人でいる方が楽な信仰活動もあるかもしれませんが、クリスチャンとしての究極の目標は、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛することです。私たちには、自分を知り、愛し、励まし、そして迷ったときに信仰の道を助けてくれる人やグループが必要なのです。 あなたの信仰生活において、「システム」を調整するのを助けてくれるのは誰ですか?あなたの「温度調節器」になってくれるのは誰ですか?コロナ禍は、私たちから交流を奪ってしまいました。多くの人にとって孤立が新たな日常となりましたが、それは健康的ではありません。 あるいは、別の状況があなたを周囲から遠ざけているのでしょう。電話して、いかに一緒に過ごせず寂しかったかを分かち合える誰かがいるよう、祈ってください。 信仰活動が確かに行われていくために、定期的に会ってくれる女性や男性がいないか尋ねてみてください。ダビデは、預言者ナタンから助言と戒めを受けた後、詩篇51篇を書きました。(サムエル記下12章を読んでください)あなたの「預言者ナタン」は誰ですか?あなたの人生で「預言者ナタン」の役割を果たすことができるのは誰ですか? 要するに、私たちは一人ではクリスチャン生活を送ることができないということです。イエスはしばしば一人で祈りに出かけられましたが、それでも12人の弟子を選び、共に歩まれました。私たちが自分一人で人生を生きようとすると、プライドや自己満足に陥り、聖句の解釈も間違ってしまうことがよくあります。主と共に歩み、共に歩む人を探しましょう。私たちは皆、自分の人生にとって有益となる「負」のフィードバックを必要としているのです。 詩篇51篇を読み、キース・グリーンの歌、"Create in Me a Clean Heart "を聞いてみてください。 神の言葉によってあなたが祝福され、救われた喜びを取り戻せますように。 https://www.youtube.com/watch?v=26_VDug4XGU Keith Green: “Create… Continue reading 再び信仰の道へ

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善い業

3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。6 あなたがたの中で善い業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。 7 わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。8わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。 9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。 (フィリピの信徒への手紙1:3-11新共同訳) この聖句は、使徒パウロのフィリピ信徒に向けた神への感謝と祈りの言葉です。彼はエペソの牢獄から共著者テモテと共にこの手紙を書いています。パウロは旅のパートナーであるシラスと共にフィリピにいた時に逮捕され、鞭打たれ、投獄されたにもかかわらず、フィリピの教会のことを深い喜びをもって覚えています。彼らのことを思い、何度も祈っています。 パウロは福音書の中で、彼らの協力に対して感謝を述べていますが、それは教会においてだけでなく、パウロの宣教活動も経済的に支えてくれました。 神の恵みは、フィリピの人々が知識と知恵を増し、キリスト・イエスに似た者となるよう豊富に与えられました。パウロは、神がかならずや教会を成長させるとともに、彼らの神の教えと知恵への見識も育ててくださると確信しています。 特にこの部分は、今月のブログの焦点となります。 6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリピの信徒への手紙1:6 新共同訳) この聖句を学びながら、私はキリスト・イエスが私たちへ与えてくださる豊かな恵みについて考えました。 イエスは御父と共にあるためにこの地上を去られたとき、私たちの内に良い業を続けるために、聖霊を遣わされました。 聖霊は、私たちが道に迷ったときに私たちを奮い立たせ、さらにイエス・キリストは私たちを裏切らず、罪を赦してくださいます。私たちが主とともに歩み、主の真理に従うことを学ぶとき、主は何度も何度も恵みを注いでくださいます。私たちの信仰が成熟するにつれて、私たちの人生はこれらの真理と共にあるようになります。 同じように、神は私たちの体が恒常性を保つために、体内に化学経路を造られました。体温、睡眠サイクル、食べ物の消化、血糖値などは、“フィードバック・ループ”という、これら体内化学経路の4つの例です。聖霊が私たちを霊的に正しい方向へ導くように、体内の化学経路が生み出す物質は、私たちの体を健康に保っているのです。体内化学経路のほとんどは“負のフィードバック・ループ”で、それは悪いという意味ではなく、化学経路の最終生成物がその経路を一時的にオフにしてしまう、ということです。 “負のフィードバック・ループ”については来月お話します。今月は“正のフィードバック・ループ”に焦点を当てます。 正のフィードバック・ループで生み出される最終生成物は、化学経路を止める訳ではなく、むしろ、化学経路をオンのままにしておき、最終結果を引き起こします。正のフィードバック・ループの一例として、止血が挙げられます。このメカニズムは、血管からの出血を止めます。下図を参照しながら、止血の説明を読んでください。 血管壁に破れや裂け目が生じると、血管は直ちに収縮して血流を減少させます。凝固因子と呼ばれる化学物質が放出され、血小板(紫色で表示)を傷口に引き寄せます。これが正のフィードバック・サイクルの始まりです。凝固が始まると、血小板も化学物質を放出し、さらにより多くの血小板を引き寄せます。血小板は互いにくっつき、血小板血栓を形成します。 凝固因子はまた、フィブリンと呼ばれる不溶性タンパク質の生成を促進します。 フィブリン(fibrin)はその名の通り、長い繊維状(fibrous)の鎖を形成しています。 フィブリンの塊(黄色で表示)は血栓を補強しますが、傷ついた血管壁が閉じて治ると、溶けていきます。血管壁の傷の程度は、傷の位置、大きさ、深さによって異なります。心臓から送り出される血液を運ぶ動脈からの出血は、心臓に戻る血液を運ぶ静脈からの出血より量は多いです。止血を担う正のフィードバック・ループは、血栓が形成されるまで繰り返されます。 正のフィードバック・ループのもう一つの例が、出産です。子宮収縮が始まると、脳下垂体が刺激され、オキシトシンというホルモンが分泌されます。オキシトシンは血流にのり子宮に運ばれ、子宮収縮の強さと頻度を増幅させます。赤ちゃんの頭が頸部を押すと、頸部から脳へ神経刺激が伝達されます。脳下垂体が刺激され、さらにオキシトシンが分泌されます。この正のフィードバックサイクルは、赤ちゃんが生まれ、後産が排出されるまで続きます。 私たちの体には正のフィードバック・ループが生まれつき備わっているように、慈悲深い神様は、私たちに聖霊を送ってくださり、私たちが常に神様に近づけるよう、ループを起こし、それを維持してくれています。私たちがバランスを崩したとき、あるいは自分の精神が貧弱になったと感じるときにも、神の恵みは十分にあることを思い出してください。神は私たちの心を知っておられ、私たちを見ておられ、私たちを知っておられ、私たちを愛しておられます。導き支えてくださる神の霊に頼るとき、自分で「コントロール」する必要はないのです。聖霊様、神聖なる癒しをありがとうございます。

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心の再生 – その2

2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。(ローマ人への手紙12:2新改訳2017 ) パウロは新しい信者に、もう周りの文化に合わせないよう助言しています。心を新たにすることで、生まれ変わるよう強く勧めているのです。キリストによって新しくされた心によって、信者の思考、ふるまい、行動、動機は清くなります。古い考えを捨て、聖霊に心を開くことによって、何が良いことで、神に受け入れられることかを見分けるようになり、非難をせず、無条件に他人を愛し、自分より彼らに尽くすことができるようになります。 先月のブログは心の再生についてでした。そこで人間の脳は頭部への外傷や脳卒中の後、驚くべき方法で治癒することを学びました。神経可塑性というプロセスを通じて、脳は自ら修復することができるのです。傷ついた神経細胞は胚の状態に戻り、新しい樹状突起と軸索を再生し、新しい結合を作ります。そして適切な条件のもとであれば、損傷した脳の領域で失った機能を回復するのです。 患者さんの中には、話し方や書き方、歌い方、日常生活での動作などを学び直すことができる人もいます。 今月は、身体的ではなく精神的なダメージを受けたときに起こる、心の再生について書きます。15年ほど前、私は本当につらい経験をしました。「私の人生はカントリー・ウエスタン・ソングのようだ。結婚生活も、家も、母も、2匹の犬も失った!」と自分の状況を冗談めかして笑ったものです。でも、心の奥底ではすごく傷つき、眠ることもできませんでした。自分を哀れみ、自分を哀れむことにに怒りを覚えるという、途切れることのないサイクルに陥りました。これには、終わりが見えませんでした。 こんなことを言われたことはないでしょうか?「大切なのは、自分に何が起こるかではなく、自分に起こったことにどう反応するかだ。」と。えぇ、誰かが私にそう言ったのですが、私には全く聞く必要のないものでした!ネガティブな思考が自分をダメにしていることは分かっていました。でも、どうすればそれを取り除けるか分からなかったのです。クリスチャンとして後ろめたくもあり、離婚の際に私を傷つけた人たちを赦したいと思っていました。でも自分一人の力ではどうしてもできなかったのです。 ある晩、リカバリー・クラス(つらい経験から立ち直ろうとする人の為のクラス)で、先生は使徒パウロの「エフェソの信徒への手紙」の中からこの聖句を紹介してくれました。 18 また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、19 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。20わたしたちの内に働く御力によって、私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に。(エフェソの信徒への手紙3: 18-20新共同訳) これだ! 私は心の中で叫びました。自分の力ではこの人たちを赦すことはできないが、神の力があれば赦すことができる。私は自分を傷つけた人たちを赦すことにしました。そして、再び嫌な考えが私の心に入り込もうとしたとき、私は神の名の力によってそれを強く否定したのです。ネガティブ思考に襲われることなく一晩ぐっすり眠れ、目覚めた最初の朝のことを覚えています。まるで生まれ変わったような気分でした。 17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。(コリント人への手紙二 5:17 新共同訳) このことで、神の言葉を学び、イエスが荒野でサタンの誘惑を受けた時、まさにそうしたように、その言葉を活用したいと熱望するようになりました。イエスは荒野で40日間断食していたので、空腹でした。 3 その時、悪魔がたくみに誘いかけました。「もしあなたが神の子なら,ここに転がっている石をパンに変えてみたらどうだ。」4 しかしイエスは、お答えになりました。「人はただパンだけで生きるのではない」と聖書に書いてあるではないか。 この誘惑とそれに続く二つの誘惑に対して、イエスは躊躇しませんでした。じっくり考えたり、サタンが言ったことを内面化したりする時間はなかったのです。イエスはすぐに聖書でサタンに答えました。その結果、どうなったでしょうか。 13 あの手この手の誘惑のかぎりを尽くすと、悪魔は一時、イエスから離れていきました。(ルカの福音書4: 1-13 JCB)  悪魔は「一時」イエスから離れたのです。ここに注目してください。 8最大の敵である悪魔の攻撃に備えて、警戒しなさい。悪魔は、飢えてほえたけるライオンのように、引き裂くべき獲物を求めてうろつき回っているのです。(ペテロの手紙一5:8 JCB) 使徒パウロのローマのキリスト者へのメッセージに戻ると、彼は、心を新たにすることによって、新しく生まれ変わるようにと強く勧めています。では、どのようにして心が再生され、新しい心が作られるのでしょうか? それは、今までの考え方を捨てるということなのです。言い換えれば、心ない言葉、トラウマ、拒絶、肉体的・精神的虐待、または別の自分を捕えて離さない嫌な思いなどを、考えないようにするのです。 しかし、そう簡単にはいかないことは、誰もが知っています。ネガティブな考えが、壊れたレコードのように、何度も何度も心の中で再生されることがあります。 長い間うそと気づかず受け入れていた為に、ついにはそれを真実だと信じてしまう人もいます。過去の経験から、それが正常な捉え方だと思ってしまう人もいます。 情緒不安は、心の傷に対する正常な反応ですが、しかし乗り越えることができます。あなたの心にあるやっかいな思いを取り去るには、継続的なプロセスが必要となります。聖書を学び、それを内面化すればするほど、聖霊の力によって、嘘や否定的な考えを打ち負かすことができるようになるのです。 12 神の言葉は生きていて、力があります。それは鋭い刃のように切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。(ヘブル人への手紙4: 12 JCB). 先月は、神様が私たちの脳を、異なる領域にそれぞれ別の機能を持たせて創られたことを学びました。脳の奥にある後頭葉は、視覚を司ります。脳の前面にある前頭葉は、思考や理性を司る、というふうにです。 私たちは、思考、視覚、聴覚、嗅覚、味覚が脳のどこで処理され、短期記憶と長期記憶がどこに保存されるかをコントロールすることができません。しかし、目、耳、鼻、指先、口を通して何を心に取り入れ、そして記憶として定着させるのかをコントロールすることはできます。そしてまた、どんな映画を見るか、どんな音楽を聴くか、どんな人と付き合うか、ドーナツを何個食べるかなどの選択は、ただ自分次第というわけではないのです。あなたが神にそれらを委ねるとき、聖霊が今までの間違った考えを打ち破ってくださるのです。 「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」(箴言4: 23 新改訳2017)  先に述べたように、心に張り付いた嫌な思いを克服するのは一朝一夕にできることではありません。このような困難な戦いに勝利したいならば、聖典と聖霊の助けを借りることが不可欠なのです。イエスについて聞いたことがあるのと、個人的にイエスを信じているのとでは違います。聖句を読んだり知っていたりするのと,それを自分の心の中に持ち続けるのとでは違います。嘘を瞬時に見抜き,すぐに真理で対抗することです。わたしの好きな聖句を3つ紹介します。 7 神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。(テモテへの手紙第二1:7新改訳2017) 8 最後に、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。(ピリピ人への手紙4:8 新改訳2017) 31 イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。32 あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 (ヨハネの福音書8:31-32新改訳2017) あなたは自由になりたいですか?神はあなたに、奇跡的な脳を与えられました。脳は、物理的な損傷から回復し、実際に新しい経路を構築することができるのです。この新しい年において私の祈りは、神があなたの戦いを助けてくださるように、というものです。神様に、否定的な考えと戦うために用いる聖句(あるいは一言でも!)を示してくださるようお願いしてみてください。そして最後に、信頼できる人達を見つけることです。同じようにイエスを知ろうと頑張っている人たちに囲まれていれば、自分の意志を貫くことができます。あなたのために祈ってくれる信頼できる人が見つかれば、文字通り "more power… Continue reading 心の再生 – その2

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心を新たにすること

2 この世の人々の生活や考え方をまねてはいけません。むしろ、神に喜ばれることは何かを思いながら、なすこと考えることすべての面で生き生きとした、全く新しい人となりなさい。(ローマ人への手紙12:2 JCB) 使徒パウロは、ローマにいるユダヤ人と異邦人のクリスチャンに向けて手紙を書いています。 彼はこれまで何度も彼らを訪ねようとしましたが、叶いませんでした。彼の計画は、ローマを訪れ、福音を宣べ伝え、その後、引き続きスペインに福音を届けることです。クリスチャンたちは、ローマにあるいくつかの家の教会に集まっています。福音を聞き、イエスの教えに従って彼らの人生が大きく変わっても、街の環境は変わっていません。モーセの律法の儀式や生け贄、偶像崇拝の習慣の中で生活しているのです。 パウロは新しい信者に、もう周りの文化に合わせないよう助言しています。心を新たにすることで、生まれ変わるよう強く勧めているのです。キリストによって新しくされた心によって、信者の思考、ふるまい、行動、動機は清くなります。古い考えを捨て、聖霊に心を開くことによって、何が良いことで、神に受け入れられることかを見分けるようになり、非難はせず、無条件に他人を愛し、自分より彼らに尽くすことができるようになります。 パウロは単に比喩的表現を使っただけなのか、それとも本当に心を「新しく」することは可能なのでしょうか?かつて、脳のネットワークは加齢とともに固定化されると信じられていました。しかし、過去20年の膨大な研究により、脳は決して変化を止めることはなく、順応していることが明らかになりました。神は、人間を「変化しない脳」でお創りになったのではありません。脳には神経可塑性という、新しい経路を作り出して再編成する能力があるのです。神経可塑性(neuroplasticity)という言葉は、2つの語源からきています。“neuron”(この場合は脳の神経細胞)と“plastic”(可塑)です。可塑とは、物を形作ったり、部分的に変更することを意味します。 神経可塑性とは、私たちの人生経験や学習が、脳の神経経路をどのように変化させるかを説明するものです。新しいことを学んだり、新しい情報を記憶したりすると、脳内で長期にわたってその機能に変化が起こります。通常の脳の発達過程では、子供の脳が最初に感覚情報を処理し始めると、発達脳の可塑性及び学習と記憶の可塑性として知られるプロセスが始まります。 脳卒中や外傷後に脳が修復する時、損傷を受けたにもかかわらず、脳は最大限の機能を発揮できるように適応していくのです。損傷部位の周囲の脳細胞が、その機能と形状を変化させ、損傷した細胞の機能を受け継ぐことができるようになります。下の写真を見て、神経細胞の構造や配置が、神経可塑性によって脳の損傷を元に戻すことができるのか、想像力を働かせて考えてみてください。 体のすべての細胞は、血液によって運ばれる酸素と栄養を必要としています。脳に血液を供給する大動脈が閉塞または切断されると、細胞死が起こります。 患者には、損傷した部位が制御するもの:言語、平衡感覚、論理的思考、運動、等の損失や変化がおこります。右脳の損傷は左半身の筋肉制御に影響を与え、その逆も同様です。 脳が損傷を受けると、患者はしばしば昏睡状態に陥ります。医師が薬により昏睡状態を誘発することもあります。なぜでしょうか?昏睡状態にすることで、脳の電気的活動や代謝が低下し、脳が休息することができるのです。この状態にすることで、脳の腫れを抑え、さらなる損傷から脳を保護するのに役立ちます。 脳が十分に休息したと医師が判断した場合、医師は親族に、患者に話しかけるよう勧めます。患者の名前や過去の重要な出来事を話すことで、脳の長期的な記憶が保存される領域が目覚めるのです。患者のMRIを撮ると、言語理解や長期記憶に関わる脳の部位に光が現れます。血液中の酸素濃度が上昇し、脳のこれらの部位が使用されていることを示しているのです。 昏睡状態に陥っている時間、脳の損傷の度合いや部位、回復の時間経過は、患者ごとに異なります。また、理学療法からの刺激により、歩く、座る、立つ、横になるなどの簡単な運動動作や、ある種の動作から別の動作への切り替わるプロセスを学び直します。その後、文字を書く、食事をする、歯磨きや髪を整えるといった、より細かい動きに繋がっていきます。言語療法は、患者が、話し方と言われたことを理解できるように学び直すためのものです。治癒には、数ヶ月から数年かかることもあります。医療機関や家族の励ましが、結果に大きな違いをもたらします。 使徒パウロがピリピの信徒に宛てた手紙にある聖句を引用しておきます。パウロはエフェソの獄中でこの言葉を書きました。ダマスカスへ向かう道で、イエスとの会話の後改心したパウロ(使徒の働き9:1-22)は、心が新たになった人の分かりやすい例でしょう。クリスチャンを迫害する以前の人生から、福音を伝え、教会を建て、クリスチャンを励ますという新しい人生に変わったのです。パウロはこう言っています。20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにほんとうのいのちが与えられています。(ガラテヤ人への手紙2:20JCB) 1あなたがたには、クリスチャンとして互いに励まし合う気持ちがありますか。私を助けたいと思うほどの愛がありますか。あなたがたは同じ御霊をともにいただいており、主にあって互いが兄弟であるということの、ほんとうの意味がわかっているでしょうか。やさしい心と思いやりが少しでもあるでしょうか。2もしそうなら、互いに愛し合い、心から打ち解け合い、思いと目的とを一つにして共に働き、私(パウロ)を心から喜ばせてください。3自己中心であったり、見栄を張ったりしてはいけません。謙遜になって、他の人を自分よりもすぐれた者と考えなさい。4自分のことばかりにとらわれるのではなく、他の人のことにも目を向けなさい。 (ピリピ人への手紙2:1-5 JCB) Photo 227313499 / Brain Neuron Microscope © Puntasit Choksawatdikorn | Dreamstime.com Illustration 106726571 / Brain © Fabio Iozzino | Dreamstime.com